TSMCの進出で熊本県菊陽町が描く『未来予想図』
~熊本県菊池郡菊陽町~
世界最大の半導体受託製造会社TSMCが菊陽町に進出することが決まったのは、令和3年11月9日。
以降、人口4万人あまりの小さな町は、関連企業も含めて更なる人口流入が見込まれ、不動産価格が高騰するなど、特需に沸き立っています。いまや世界も注目する「まち」となった菊陽町を取材しました。
町制施行から続く菊陽町の人口増加
雄大な阿蘇に源を発した白川中流域の平坦地にあり、熊本市の北東部に位置する菊陽町。豊かな水と肥沃な土壌を受け、町では米、麦、野菜、花草などが栽培され、にんじんは国の産地指定を受け、「菊陽にんじん」ブランドとして全国に出荷されています。また、同町は熊本市の中心部まで15km程度の距離にあることから、ベッドタウンとしての一面を持ち、国道57号線(菊陽バイパス)や国道443号線など、主要幹線道路が町内を通過し、周辺都市部へのアクセスも良好です。交通の利便性が高く、地下水も豊富なため、昭和後期以降は工業化も進められてきました。
このような環境の中、菊陽町の人口は年々増加を続け、令和2年の国勢調査では県内市町村で2位となる人口の伸び率を記録するなど、勢いのある町として知られています(図表1)。この点について、菊陽町商工振興課の坂本恒平氏(以降:坂本氏)は「最近はTSMCのニュースで持ち切りですが、当町は、50年余りの期間に数回の土地区画整理事業を行い、住宅地の形成に取り組んできました。その結果が継続的な人口増加に結びついているのだと思います。
人気エリアの『光の森地区』では大型商業施設や多くの店舗が建設され、若い人たちの転入も目立ちます。ただTSMCの進出が、人口の流入そして地価高騰に拍車をかけているのは事実です」と話します。
アメリカ、中国に次ぐTSMCの国外進出
ここで話題のTSMCの情報について整理すると、同社は社名を「Taiwan Semiconductor Manufacturing Company」といい、頭文字をとってTSMCと表記されます。TSMCは開発や設計を行っているメーカーから製造を受託する専門の企業で、主要顧客であるApple社のiPhoneやiPadに搭載されているチップは、TSMCが一手に引き受けて生産しています。半導体製造の研究開発へ大規模な研究・設備投資が必要となるため、ほとんどのメーカーは開発・設計に力を入れて、製造は他社へ委託するのが通常です。そのため、高性能な機器に搭載する半導体はファウンドリ※1メーカーであるTSMCに依存する形になっているのです。また、現存する最高の半導体であると評価されている3nm※2の半導体を安定的に製造できるのは、TSMCの大きな強みです。TSMCは今年の7月に、2nmプロセスによる半導体製造工場を台湾に新設することを発表し、来年には2nmの半導体製造へ移行する予定との報道が業界内で話題となっています。
なお、TSMCが日本に工場建設するのは初で、米国、中国に続き日本が3カ国目です。
経済産業省の発表によると、世界の半導体の市場規模は令和2年には約50兆円だったものの、需要は拡大し、10年後の令和12年には倍の約100兆円になると見込まれています。TSMCの工場建設の投資額は約1兆円といわれていますが、国がその半分にあたる最大4760億円を補助しています。政府は「経済安全保障」の観点から、TSMCを誘致することで、半導体の安定確保につなげるとともに、半導体産業の復活のきっかけにしたいと標ぼうを掲げます。
※1 ファウンドリ/半導体チップの製造を行う企業・サービス
※2 nm/1ナノメートルは、1ミリの100万分の1。髪の毛の太さの約10万分の1。
豊富な水資源が工場建設の決め手に
では、なぜTSMCの進出先が熊本県だったのでしょうか。理由は半導体産業が集積している地だからです。半導体分野で、日本は製造装置や材料に定評があり、九州には約1,000社の半導体関連企業が集積していることから「シリコンアイランド」と呼ばれています。その中でも熊本県には、半導体関連企業が200社以上集まり、工場が整備されるセミコンテクノパークには、TSMCの顧客でもある「ソニーグループ」の工場が、その隣には世界有数の半導体製造装置メーカー「東京エレクトロン」があります(図表2)。
また、熊本県のきれいな水も工場進出の大きな決め手ともいわれています。半導体を作る工程においては不純物を取り除くため、大量の純水を必要とします。熊本県には阿蘇のカルデラがあり、そこから流れ出る地下水が豊富で、熊本市や周辺の自治体では水道水のほとんどが地下水を使用しています。水不足が懸念材料だった台湾にとって、熊本県が最適な場所だったのです。
工場の建設は令和4年4月に始まり、令和5年内の完成を目途に、その後、設備の搬入や製造ラインの立ち上げなどを経て、令和6年12月までには出荷を開始する予定といいます。地元の金融機関は、TSMCの進出による経済波及効果を10年で4兆3000億円に上るという試算を発表しましたが、これは、工場投資額に加えて、関連企業の進出や新たな工業団地の開発、住宅整備、新たな雇用などが含まれています。
稀に見る不動産特需と時間を要す課題解決
続いて人流です。現在、工場の建設には1日あたり最大5,000人以上の人が携わっています。また、菊陽町への進出や増設を予定している企業も多く、雇用効果はTSMCの雇用約1,700人と併せて約7,500人にまで膨れ上がります。大きな人の流れが生じれば、高まってくるのが住宅地需要です。前出の坂本氏は「これまで菊陽町で建てられるアパートは単身者向けや若い世帯の2LDKが主流でした。ただ、最近は3LDKなど広い間取りの需要が高まっていると聞きます。台湾から来られるTSMC従業員が希望しているそうですが、直近で来日する方々は従業員300人、家族を含めると600人ほどで、その一定数が菊陽町に住む予定です。また、TSMCは1,700人の雇用を掲げています。すでに125人の新卒内定者は今年の4月から半年間、台湾で研修を行い、日本に戻ってきたときは菊陽町もしくは近隣市町に住まれると思います」と話します。
人口の増加に伴い、住宅需要の高まりが生じるのは当然で、菊陽町はもとより合志市、大津町など周辺自治体にも地価上昇エリアは広がっています(図表3、4)。令和4年9月に公表された地価調査では、菊陽町の「工業地」の上昇率が前年比で31.6%と、全国で最高値を記録。また令和5年3月に公表された地価公示では、菊陽町の「商業地」の上昇率が21.7%、「住宅地」が9.7%と、県内で最も高くなっています。
TSMCの進出で大きな経済効果が期待される一方で、課題が明るみなったことも事実だと坂本氏は話します。
「ひとつは交通渋滞です。住民からも改善策を求められていますが、工業団地の周辺では、通勤時間帯の朝と夕方に渋滞が激しく、問題となっています。今後、企業進出が相次げば、さらに悪化することが懸念されます。
また、工業用地が足りないことも解決しなければならない問題です。菊陽町の土地は、全体の8割ほどが市街化調整区域で、その多くが国の補助を受けて整備された農業振興地域に当たります。そのため、原則としてほかの用途には転用できません。このことが影響し、当町への進出を断念した企業も少なくはありません」とのこと。
これを機に、県内では工業用地を整備する動きが相次いで見られ、熊本県は、令和8年度に、合志市と菊池市に新たな県営工業団地を整備する計画を、また熊本市、八代市、合志市、玉名市、益城町、大津町、西原村でも、工業団地の整備の動きが進んでいるといいます。
そのほか、住民や企業からは「もっとホテルなどの宿泊所を建設して欲しい」との要望も多く寄せられていると坂本氏はつけ加えます。
熊本県内で進む主な産業団地造成計画
菊池市
熊本県が25ha規模の整備地を決定。
令和8年度分譲予定。
合志市
熊本県が25ha規模の用地選定中。
令和8年度分譲を目指す。
熊本市
市内4カ所で計20haを造成。
令和7年度分譲予定。
大津市
10haを令和9年度に開発予定。20~25haへ拡張の可能性も。
菊陽村から町へ
そして市誕生に向けて
TSMCの建設工事が進む中、菊陽町の受け入れ態勢も着々と進んでいます。そのひとつが5月29日に開設された外国人住民向けの生活相談窓口です。
町内には中国、ベトナムなど29カ国の559人が暮らし(令和5年4月末時点)、外国籍の住民は平成27年4月末の249人から約2.2倍に増えています。さらに、TSMC進出で台湾籍を中心に、今後さらに転入が相次ぐと見込まれ、受け皿づくりが課題でもありました。相談窓口は、町庁舎本館1階の町民課に設けられ、役所での手続きやごみの出し方など生活全般の相談に応じるそうで、毎週火、木曜は英語と中国語、月、水、金曜は英語が話せる相談員が対応します。菊陽町は今後、オンラインの対応も多言語化させ、専用の窓口も設ける予定だといいます。
坂本氏も「昨年、町長に就任した吉本が打ち立てたマニフェスト『8つの政策分野』の72の具体策の中に『国際交流協会の設置』という施策がありますが、私自身が特に関心を持っている項目のひとつです。せっかく台湾から大勢の人が菊陽町に来られるので、住んでいただく以上は、不自由なく快適な生活を送っていただきたいですし、地域コミュニティに溶け込み、菊陽町に慣れ親しんでほしいと願っています」と話します。
昭和44年1月1日に当時の菊陽村が菊陽町へと生まれ変わりました。その後、紆余曲折はありながらも人口は43,000人を超え、世界からも注目される「まち」となりました。今後、菊陽町の発展スピードは、TSMC進出のおかげでより加速していくことでしょう。100年に一度の転換期と称される大きな波に乗って、菊陽町は市制を目標に掲げるとともに、日本の半導体産業をけん引する「まち」へ生まれ変わります。
8つの政策分野
1. 未来への投資
重点政策 学校給食と副食費の無償化
世界で輝ける「新しい菊陽」になるために
2. 潜在能力への投資
重点政策 仕事のスキルアップやキャリアアップなど、働くことを目的とした「社会人の学び直し教育」の推進
まちに秘められた才能に気づく「新しい菊陽」になるために
3. 生活・喜びへの投資
重点政策 健康保健センターの整備
人生で得られる喜びのある「新しい菊陽」になるために
4. スポーツと文化への投資
重点政策 町民が楽しめる総合運動公園の整備
一人ひとりを元気に、心豊かにできる「新しい菊陽」になるために
5. 教育への投資
重点政策 楽しく充実した学校生活の提供
これまでにない価値を生み出す「新しい菊陽」になるために
6. 安全への投資
重点政策 地域防災施設の整備
人と社会との調和の取れる「新しい菊陽」になるために
7. 地域への投資
重点政策 町の均衡ある発展の推進
地域経済の好循環を生み出す「新しい菊陽」になるために
8. 町民サービス向上への投資
重点政策 「わくわく座談会」の実施
地域に密着し、住み慣れた地域で暮らしていくことが出来る「新しい菊陽」になるために