今、注目のまち Vol.7 西宮市[兵庫県]
“地域再生”を実現させ、人が「集い、住まう」まちは関西屈指の注目エリアに
阪神・淡路大震災を乗り越え、復興を果たし、平成20年には中核市に指定された西宮市。同市はいま、西宮北口駅周辺を中心に住みたい・憧れのまちとして注目を集めています。
再開発中に起きた阪神・淡路大震災
不動産会社が実施する「住みたい街」ランキングで、常に名前が挙がる西宮市ですが、その中でもとりわけブランド化されているのが“ニシキタ”の愛称で親しまれている阪急電鉄の西宮北口駅周辺です。西宮北口駅の歴史は古く、誕生は神戸本線が開通した大正9年。翌年に今津線の西宮北口と宝塚を結ぶ路線が、大正15年には西宮北口-今津駅間が開通します。これにより、東西を走る神戸本線と南北に走る今津線が直角に平面交差する交通網(図1)が完成。駅を中心にこのエリアは発展していくことになります。
西宮市には阪急電鉄・JR・阪神電鉄の3路線が通っており、どの路線からも神戸・梅田・大阪などの都心まで20分以内での移動が可能
西宮北口駅周辺は昭和初期になると、住宅地の分譲開発が始まり、商店街や市場も開設され、約220店が軒を連ねる市内有数の商業エリアとして賑わいました。しかし、時代とともに市場や商店街は衰退。地域一帯の建物は古い木造低層住宅が多く、道路の大部分が細街路だったこともあり、消防活動が困難になるなど課題も山積していました。そこで再開発の話が持ち上がり、市と住民が再開発準備組合を設立。ただ、借地や借家が多いことから再開発は思うように進みませんでした。そんな中、平成7年1月17日に阪神・淡路大震災が起こります。神戸や淡路島の壊滅的被害の状況は頻繁に報道されたこともあり、多くの人がその惨劇を知ることとなりましたが、西宮市の被害については詳細を知らないという人も多かったようです。被害状況を見ると、死者は1,000人をゆうに超え、倒壊家屋は61,238世帯(平成10年5月末時点)。西宮北口駅周辺は、瓦礫の山が連なりゴーストタウン化したといいます。
西宮市の人気は、人口動態を見ても歴然です。兵庫県全体の人口が減少していく中で西宮市の人口はここ10年で増加(図表1)。同様に、住宅戸数の推移や公示地価を見ても人気を如実に表しています(図表2、3)。
復興を遂げまちは魅力あふれるエリアに
西宮北口駅周辺を語る際、駅を中心に路線が東西と南北に交差していることから北東、北西、南東、南西の4地区に分けられますが、震災の被害が特に大きかったのは、木造住宅が残っていた駅の北東地区だったといいます。同地区は真っ先に復興事業が開始され、平成13年に保健福祉センター、消費生活センター、図書館などの公共施設のほか、100を超える専門店が入居する商業施設「アクタ西宮」が完成します。南東地区には阪急西宮スタジアムがありましたが、震災を機に解体。跡地には、西日本最大級のショッピングセンターとなる「阪急西宮ガーデンズ」が平成20年にオープンします。敷地面積は7万㎡で、270ほどの店舗と阪急百貨店のほかシネコンや大型スーパーが入居。「阪急西宮ガーデンズ」の完成は、西宮北口駅周辺のブランド化に大きく貢献し、開業と同時にまちは活気が満ちあふれるようになります。そして、南西地区は、新たに整備された駅前ロータリーにシェルター型のバスターミナル(南東地区から移転)が設置され、周囲には中央公民館やホールが入った再開発ビル「プレラにしのみや」や商業施設、高層タワーマンション、大型フィットネスクラブなどが建設されます。その中でも注目されたのが、震災前から〝都市核〟に位置付けられていた「兵庫県立芸術文化センター」でした。大きな苦しみを背負って生きる地域の人々を、芸術文化で支える〝文化復興のシンボル〟としていまも市民に勇気を与えています。被害の少なかったのが北西地区で、閑静な住宅街とともに関西学院大学や神戸女学院大学が集まる文教地区としての機能をいまも維持しています。
奇しくも震災の前、都市整備の時に掲げた“商・住・遊”の機能を備えたまちづくりの方針は、震災後に実現したことになります。
新たなランドマーク建設に向けて
西宮市は昔から「ふたつのへそがある」といわれているように、阪急電鉄の西宮北口駅周辺とは別に、もうひとつJR西宮駅・阪神西宮駅周辺を中心とした都市核があります。そのエリアには市役所などの公共施設やえびす神社の総本山・西宮神社があるほか、文化7(1810)年に創建された今津灯台、「酒どころ・西宮」の歴史をいまに伝える博物館、史跡などが点在しています。歴史情緒あふれる場所柄の一方で、JR西宮駅の南側は「フレンテ西宮」などの商業施設が集積するエリアとなっています(震災後の再開発)。
しかし、近隣の南西地区には民設の西宮市東地方卸売市場(昭和9年開設)といった老朽木造建築物が密集する地域があり、建物の不燃化、耐震化への対応や広場などの都市基盤施設が十分に整備されていないことから、新たに再開発が進められる予定となっています。この事業は市の新たなランドマークの建設を目指し、大阪万博が開催される令和7年の完成を目指しています。
地域差の中で魅せる不動産業の力
再開発の波は主要駅周辺にとどまらず、少し場所が離れた武庫川エリアでも進んでいます。
その状況をよく知る武庫川住研の鈴木治郎氏は「ここ一帯は古い土地柄ということもあり、空き家が多く存在しています。路地に空き家が密集していることもあり、道を塞いでしまっている場所も多くあります。そのことが以前から問題視されていました。だからいま、建て替えをはじめとした住宅開発が進んでいるのでしょう。加えて、ここに住む住民の高齢化も進み、子供世代に当たる40、50代の人たちは大都市で独立。地元に帰ることもなく、相続した実家と土地を売り払って、分譲地にすることが多いように思います」と話します。
前出の西宮北口駅周辺やJR西宮駅南口周辺の再開発の様相とは異なり、武庫川エリアは住宅の老朽化とそれに伴う空き家の増加が問題になっているようです。そんななか、鈴木氏は独自で空き家対策に打って出ます。それが外国人労働者用のシェアハウスの活用だといいます。
「この辺りは外国人労働者の需要が高いエリアなんです。周辺地域が阪神工業地帯の一部ということもあって、食品をはじめとした工場が多くあるのですが、そのほとんどが人手不足に悩んでいました。そんなとき、窮地を救ってくれたのが特定技能実習制度を活用して来日してくれたベトナムの若者たちでした。しかし、鞄ひとつでやってくる人が多いものですから、住む場所も当然ない、身寄りもないから保証問題も絡んで借りられる部屋もない。知り合いの企業の方からそのような相談を受けたとき、力になりたいと思ったんです。そこで、鳴尾の古い空家を購入して、シェアハウスとして彼らに住居を提供しました」。近所の住人には高齢者も多く、外国人が集団で住むということに偏見を持つ人も多かったといいます。そのため、最初にシェアハウスに入居させるときは、鈴木氏自らがあいさつにまわったといいます。今後、人口がますます減少していくといわれている状況の中、外国人労働者の力を借りなければ地域経済は衰退していくというのが鈴木氏の考え。「やはり、まちというのは人が住むことで、はじめてお金が動いて、経済がまわっていくものです。空き家問題が深刻になっている現在、そこに住んでくれることで活気が出てくるものです。このエリアにはまだまだ空き家がたくさんあるので、地域のためにもこの活動は今後も続けていきたいです」と語ります。
Interview
地方本部長からひとこと
兵庫県本部長
南村 忠敬氏
海と山に囲まれ、都市と自然が融合した多彩な表情をもつ兵庫県。異国情緒漂う「神戸」、世界遺産「姫路城」など、人気観光スポットが数多くあり、神戸牛からスイーツまで美味しいグルメの宝庫です。
西宮市は、交通の利便性と豊かな自然に恵まれた「文教住宅都市」として、近年子育て世帯に大変人気の街です。新年の「福男選び」で知られる西宮神社や、全国の高校球児の憧れの地「阪神甲子園球場」がある街としても有名です。住む人をはじめ、訪れる方にも楽しんでいただける魅力あふれる兵庫県へぜひお越しください。
地域に密着する事業者にうかがいました
住まいを通した人助けと地域貢献を
有限会社武庫川住研
代表
鈴木 治郎氏
有限会社武庫川住研
兵庫県西宮市上田中町11-24
TEL:0798-44-6001 FAX:0798-44-6002
営業時間/10:00~18:00 定休日/毎週水曜
当社は、武庫川団地(武庫川UR)のマンション売買・賃貸の仲介を中心に行っている会社です。創業して20年ほど経ちますが、私が代表に就いたのが2年ほど前のこと。義父が体調を崩していたこともあって、それを機に継承しました。以前は広範囲で営業をしていましたが、継いでからは“会社の半径2㎞圏内で勝てばいい”という考えで事業を行っています。なにしろ武庫川団地には、分譲で2000世帯で、賃貸は7000世帯、計9000世帯が分譲と賃貸で暮らしていますから。そこをターゲットに毎週、中古・新築物件の広告を欠かさず出させていただいています。不動産業に携わって良かったことは、地元の人々に喜んでもらえること。空き家問題をはじめ、増えていく高齢者、低所得者の方、様々な人がこの地域には住んでいますので、より地域に精通して、相談に乗りたいと考えています。