法律相談
2021.09.14
不動産お役立ちQ&A

Vol.65 売主の履行の着手


Question

手付を受け取って中古住宅を売却しましたが、決済の前日になって買主から「手付を放棄し、契約を解除する」という通知がきました。私はすでに買主の指定した司法書士に抵当権抹消書類を手渡しています。買主からの手付放棄による契約解除に効力はあるのでしょうか。

Answer

1. 回答

手付放棄による契約解除に効力はありません。相手方が履行に着手した後は手付解除ができなくなる決まりとなっているところ、ご質問のケースでは、売主として司法書士に抵当権抹消のための書類を交付したことが履行の着手にあたるからです。

2. 手付解除と履行の着手

さて、買主が売主に手付を交付したときは、買主はその手付を放棄して、契約の解除をすることができます。ただし、売主が契約の履行に着手した後は、手付放棄による契約解除をすることはできません(民法557条本文・ただし書き)。

手付解除における履行の着手とは「債務の内容たる給付の実行に着手すること、すなわち、客観的に外部から認識し得るような形で履行行為の一部をなし又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をした」こととされています(最判昭和40.11.24判時428号23頁)。

もっとも、この定義は抽象的です。どのような行為が履行の着手になるのかは、具体的な先例をみて確かめなければなりません。東京地判令和2.2.26(2020WLJPCA02268022)では、売主がすでに司法書士に抵当権抹消のための書類を交付していた事案において、買主が決済日の前日に手付放棄によって契約を解除したと主張したのに対し、履行の着手があったと認定し、手付放棄による契約の解除を認めませんでした。

3. 東京地判令和2.2.26

Ⅰ.事案の概要

(1)X(買主)とY(売主)は、平成31年2月19日、手付金300万円を支払って、代金1億990万円で売買契約(本件契約)を締結した。

(2)本件契約の契約書には、売買代金支払期日を平成31年3月28日とする、Yは所有権の移転の時期までに本件物件に設定されている担保権等の負担を除去抹消する、YはXから売買代金全額を受領した日に、所有権等の移転登記申請手続をする。本件契約に基づく登記手続はXの指定する司法書士が行う、と定められていた。

(3)Yは、平成31年3月13日、Xの指定した司法書士に対し、抹消登記手続および移転登記手続に必要となる書類として、登記識別情報通知、登記原因証明情報、委任状、印鑑証明書、固定資産評価証明書、抹消書類代理受領委任状を交付した。

(4)Xは、平成31年3月27日、FAXの送信によって、手付金の放棄による解除を申し入れた。

Ⅱ.裁判所の判断

判決では、『本件契約書上、Yは、本件建物の所有権の移転時期までに本件物件に設定されている担保権等の負担を除去抹消し、また、Xからの売買代金全額の受領と同時に、所有権等の移転登記申請手続をするとの義務が明記されており、しかも登記手続についてはXの指定する司法書士が行う旨明記されていることも踏まえれば、Yは、売買代金全額を受領した日(売買代金の決済日)までに担保権等を抹消した上、同日には即座に移転登記申請手続をする義務を負っていたのであって、Yによる司法書士への書類交付は、Yの義務を果たすための必須の事前準備行為ということができる。そして、本件契約における売買代金支払期日(履行期)が定められた趣旨・目的は、Yが義務を履行するための準備をあらかじめ行い、決済日に所有権移転登記申請をすることができるための準備期間としての意味も有していたものということができる。

以上の事実に加え、本件契約書にはYが行うべき義務が明確に記載されているのであり、XにおいてもYが売買代金決済日の前までには登記申請手続等に関し所要の準備をすることを十分認識し、または認識し得たというべきことを踏まえれば、Yが行った前記の行為は、客観的に外部から認識し得るような形で履行行為の一部をしたものというべきであり、Yによる履行の着手があったと評価すべきである』として、Xによる手付解除が無効とされました。

4. まとめ

売買契約の仲介を行った宅建業者は、不動産取引の専門家として、売買の売主や買主からさまざまな相談を受けます。宅建業者であれば、誰もが履行の着手によって手付解除ができなくなることは知っている基本知識ですが、具体的にどのような行為が履行の着手になるのかの判断は、思いのほか難しい問題です。本稿で紹介したケースは、履行の着手に関するひとつの先例として基本知識に加えていただきたいと考えます。

図表 手付の意義

手付の意義

今回のポイント

  • 買主が売主に手付を交付したときは、買主はその手付を放棄して、契約の解除をすることができる。ただし、売主が契約の履行に着手した後は、手付放棄による契約解除をすることはできない。
  • 履行の着手とは、客観的に外部から認識し得るような形で履行行為の一部をなし又は履行の提供をするために欠くことのできない前提行為をしたことである。
  • どのような行為が履行の着手になるのかは、具体的な先例をみて確かめなければならない。
  • 買主が決済日の前日に手付放棄によって契約を解除するという通知をしたとしても、売主がすでに買主の指定した司法書士に抵当権抹消のための書類を交付していたときには、履行の着手があったものとなり、手付放棄による契約の解除は効力を生じない。

渡辺 晋

山下・渡辺法律事務所 弁護士

渡辺 晋

第一東京弁護士会所属。最高裁判所司法研修所民事弁護教官、司法試験考査委員、国土交通省「不動産取引からの反社会的勢力の排除のあり方の検討会」座長を歴任。マンション管理士試験委員。著書に『新訂版 不動産取引における契約不適合責任と説明義務』(大成出版社)、『民法の解説』『最新区分所有法の解説』(住宅新報出版)など。