Vol.13 店舗の賃貸借契約の締結拒絶と契約締結上の過失に関するトラブル
店舗の賃貸借契約が契約直前に締結できなかった場合に、契約を断られた交渉者がこれに不満を持ち、契約は成立している、損害が生じている等と主張し、トラブルになることがあります。賃貸の媒介においては、契約ができなかった場合のリスクも考慮しながら対応することが必要です。
トラブル事例から考えよう
〈事例〉店舗賃貸借契約を契約直前に貸主が断ったところ、借主が契約は成立している、契約締結上の過失があるとして損害賠償を請求してきた
借主Aは、媒介業者Cの媒介により、本件店舗(整復院として使用予定)についての貸主Bとの契約条件について合意をしたことから、契約予定日の2日前、工事業者に内装工事を発注しました。
契約日において、AはCの指示によりCの銀行口座に保証金等を振り込み、契約締結のためCとともにBを訪れましたが、Bは、賃貸借契約書の署名押印が、借主が整復院院長A、連帯保証人がAとなっていたことから、借主と連帯保証人が同一人物の契約には応じられないとして、A以外の連帯保証人を求めました。その後、Dが連帯保証人となることになりましたが、Dの確定申告書がBに提出されず、これらの交渉から、契約後もトラブルが生じることを懸念したBは、Aとの契約を断りました。これを受けて、Cは、AとBとの間で賃貸借契約を成立させることは困難と判断し、本件店舗の仲介人を辞任しました。
AはBに対し、賃貸借契約は成立しておりBが不当に契約を破棄した、Bの契約締結上の過失により損害が生じたとして、工事費用・営業損害等309万円余の損害賠償を求める訴訟を起こしました。しかし、一審、控訴審ともに、契約の成立は認められない、BがAに、賃貸借契約が確実に締結されるとする強い信頼を与えたとは認められないとして、Aの請求を棄却しました。
すると今度は、AはCに対して、Bが賃貸借契約の条件を承諾しているなどの誤った報告を行ったため、Aが同契約は成立すると信頼し工事費用等の損害が生じたとして、309万円余の損害賠償を求める訴訟を起こしました。しかしこれも裁判所は、CはAに対し、契約日に本件賃貸借契約の締結に至ることがほぼ確実と誤信させるような言動を行ったとは認められないとして、その請求を棄却しました。
01保証金等の振り込みと賃貸借契約の成立
保証金等の振り込み後に契約の締結を断られた借主(または貸主)が「保証金等の振り込みにより、契約は既に成立している」と主張するケースがみられますが、借主・貸主は、それまで契約書の締結を契約成立時点として、契約交渉を行っていたのですから、そのような突然の主張が認められることにはなりません。
本件において借主は、「貸主より送付された賃貸借契約書に、借主が合意し、貸主より求められた契約成立に必要な保証金等の支払いを行ったことで、賃貸借契約は成立している」と主張していますが、本件裁判例は「賃貸借契約書に貸主は署名押印していないし、金銭の振り込みをもって契約成立の条件とする契約条項も認められない。その他に賃貸借契約が締結されたとする証拠もない※1」として棄却しています。
また、貸主が借主の保証金等の振り込みにより契約は成立していると主張した事案において、「一旦契約が締結されるとその関係が一定期間継続する賃貸借契約は、貸主・借主間に強固な合意が認められる場合にはじめて成立すると解すべき※2」と判断された事例もみられます。
これらの裁判例は、「契約締結を断られたが、交渉経緯等から契約は成立している」と主張する借主・貸主に説明をする際に参考になると思います。
※1 東京地判 平28・1・21 RETIO111-84
※2 東京地判 平22・2・26 RETIO84-112
02契約締結上の過失と損害賠償
交渉者は、お互いに、契約を締結するまでは、いつでも契約交渉を打ち切り契約締結を断る自由があり(民法521条1項)、契約が締結されなければ債務を負担せず、契約交渉に要した費用は自らが負担し相手方に請求できないのが、契約交渉の一般的な原則です。
したがって、相手方の契約交渉打ち切りが契約直前だったとしても、交渉者は交渉に要した費用等を相手方に請求することはできません。
しかし、相手方に契約が確実に締結されると過大な期待を抱かせ、その期待により相手方に費用等が発生することを認識していたにもかかわらず、契約の締結をしなかった場合には、契約締結上の過失による損害賠償責任を負う場合があります※3。
本件では、裁判所は、「貸主は交渉に際し慎重に契約締結の可否を検討しており、借主に契約が確実に締結されるとする強い信頼を与えたとか、借主の内装工事発注に承諾を与えたことはなく、契約拒絶の理由にも信義則違反は認められないことから、借主の主張には理由がない」として、その請求を棄却しています。
※3 貸主側の契約締結上の過失が認められた事例として、東京高判 平14・3・13 RETIO58-56(貸主は、借主が内装工事を行うことに異議を述べず、他に有利な賃借希望者の出現によって突然契約交渉を打ち切った)などがあります。また、借主側の契約締結上の過失が認められた事例として、東京高判平30・10・31RETIO115-130(2か月の交渉を経て契約条件に合意し、契約締結を急ぐとした借主に貸主は記名押印済の契約書を渡したが、借主は契約予定日の約半月後に申し込みを撤回した)などがみられます。
03契約不成立と媒介業者の責任
本件では、媒介業者に賃貸借契約の締結が確実であると借主に誤信させる言動を行った事実は認められないとして、借主の請求は棄却されています。
しかし、もし借主が媒介業者に「早く開業準備を進めたい、内装工事発注をしても大丈夫か」と尋ねていて、媒介業者が「契約締結は大丈夫」等と答えていたとすると、媒介業者に賠償責任が認められることも考えられます。
店舗等の事業用不動産の媒介では、契約締結ができなかった場合に、既に多額の準備費用等が借主・貸主に生じていると、本件のようなトラブルとなる可能性がありますので、媒介業者においては、「契約が成立しないリスクがあり、そのリスクは交渉者の負担であること、相手方に契約締結が確実と誤信させる行動を行った場合、契約締結上の過失により賠償責任を負う可能性があること」を借主・貸主が認識していることを確認しながら、慎重に媒介を進めていく必要があると思われます。
一般財団法人不動産適正取引推進機構
調査研究部 上席主任研究員
不動産鑑定士
中戸 康文
一般財団法人不動産適正取引推進機構(RETIO)は、「不動産取引に関する紛争の未然防止と迅速な解決の推進」を目的に、1984(昭和59)年財団法人として設立。不動産取引に関する紛争事例や行政処分事例等の調査研究を行っており、これらの成果を機関誌『RETIO』やホームページなどによって情報提供している。
HP:https://www.retio.or.jp/