日本有数の繁華街が世界に誇るエンターテインメントシティへ
-東急歌舞伎町タワーから起こる新潮流-
2023年、新宿歌舞伎町にホテルとエンターテインメントに特化した巨大なタワーが誕生。
“好きを極める”をコンセプトに展開される異色の空間とは?
新宿繁華街の歴史とともにご案内します。
不夜城「新宿」の原点
JR、私鉄、地下鉄の11路線が乗り入れ、世界一の乗降者数を記録するターミナル駅「新宿」。日本有数の繁華街としても知られますが、そのにぎわいの起源は江戸時代にまでさかのぼります。具体的には、1697(元禄10)年に甲州街道の宿場町として「内藤新宿」が開かれ、物流の拠点として活況を呈したことに端を発します。ちなみに「新宿」とは、甲州街道に設けられた「新しい宿場」を意味します。
当時、多くの牛馬が行き交う街道には宿や茶屋が立ち並び、花めく宿場はしだいに江戸の新しい行楽地としても発展。往来する人々や物見遊山の観光客で、昼夜問わずあふれんばかりのにぎわいを見せるようになりました。
その反面、まちは幾度となく幕府から風紀取り締まりを受けます。しかし、町民たちはこれに屈することなく再興を繰り返し、民意で繁華街を形成していきました。後の世に「不夜城」「眠らない街」と謳われるタフな新宿の原点は、およそ300年前のこの頃にあるようです。
焼け野原に生まれた「歌舞伎町」
東急歌舞伎町タワーが建つ「歌舞伎町」ができたのは、第二次世界大戦後のことです。1945(昭和20)年の空襲で焼け野原になった新宿東部一帯に、当時の町会長 鈴木喜兵衛が戦災復興区画整理事業を計画。その内容は、この地に飲食店街や劇場、映画館、ダンスホールを建てて「道義的な繁華街を創る」という壮大なものでした。歌舞伎町の地名は、当初、この事業計画の中に歌舞伎座の建設が含まれていたことに由来しています。
鈴木が思い描いた繁華街は、試行錯誤を繰り返しながらも十年余りで形成され、時代とともに変遷を重ねていきました。こうして娯楽と文化が根付いた新宿歌舞伎町は、いつしか世界に誇る集客力をもち、多様性を受け入れる懐の深いまちへと進化していったのです。
好きに出会い、極める。
世界につながるエンタメ拠点
そして今年、歌舞伎町の真ん中に誕生したのが、高さ約225m、地上48階、地下5階、塔屋1階からなる「東急歌舞伎町タワー」です。上層階には2種類のホテル、中・低層階には映画館や劇場、アミューズメント施設、フードホール、そして地下にはライブホールなどが入り、1棟丸ごと“エンタメ”に舵を切った大胆な構成。想像をはるかに超える規模はもとより、エキゾチックな演出や緻密な仕掛けが世間を席巻しています。営業時間は24時間※。時間を気にすることなく食を楽しみ、語り、遊び、そしてその余韻に浸りながらホテルでゆったりとくつろぐ──。新たなエンタメの拠点となる機能は十分に備えています。
また、タワー1階に空港へアクセスするバスの停留所が設置されたことで、海外とダイレクトにつながり、観光の拠点にもなり得るでしょう。まるでかつての宿場町のにぎわいが、フィールドを広げ、再びこの地から湧き起こっていくようです。
※ 営業時間は店舗によって異なります。
※当ページの写真©TOKYU KABUKICHO TOWER(ゴジラの背中を除く)