「レジリエント・シティ」の名のもとに
~古都・京都から学ぶまち本来の在り方~
アメリカの慈善団体・ロックフェラー財団が立ち上げたプロジェクト「世界100のレジリエント・シティ」に選定された京都市。選ばれた100都市は、相互に連携しながら“レジリエンス都市の構築”を目指し、様々な取組みを行ってきました。では、ここでいうレジリエンスとは何を指すのでしょうか。同プロジェクト・京都市の窓口を務める藤田裕之チーフ・レジリエンス・オフィサー(CRO)に、その詳細と選定された背景、また、大きく関与したという不動産事業者との関係性等について話を伺いました。
アメリカ同時多発テロで市民を勇気づけた言葉
―まずは「レジリエンス」という言葉が持つ意味を教えてください。
レジリエンスは古くからある言葉で、本来「跳ね返る力」「回復する力」という意味を持ち、日本語では「しなやかな強さ、強靭さ」という意味で訳されてきました。そこから派生して、生態学や心理学などの専門分野においては、ダメージを受けても現状以上に改善する様子や新たな状況に適応すべき変化を遂げていく姿を表現する用語として用いられるようになったのです。
レジリエンスが一般的に広く使用されるようになったのは、2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ事件がきっかけといわれています。テロによって、ワールドトレードセンタービルは崩壊し、見るも無残な姿に変わり果ててしまった。でも跡地には1本の木が青葉を残して立っていた。その様を見た市民たちは歓喜に沸いたと。皆、その木を復活のシンボルとし、復興に力を合わせて勤しむようになったといいます。そのとき、ニューヨーク市民が口々に発した言葉がレジリエンスだったというのです。その後、レジリエンスは復興の合言葉として、市民から親しまれ、これを機に、世界規模で起きた災害やテロなどの危機からの復興や危機への対応において、徐々に使われるようになったといいます。奇しくも2011年の東日本大震災での「奇跡の一本松」のエピソードにも似ていますね。そして、2013年に開催された世界経済フォーラム(通称:ダボス会議)のテーマにレジリエンスが取り上げられたのを契機に、「あらゆる危機に対応する力=レジリエンス」(図表1)というひとつの概念が国際的に定着することになります。我が国においても内閣官房に「ナショナル・レジリエンス(防災・減災)懇談会」が設けられたのもこの年です。
レジリエンスの概念
まちづくりの観点からいえば「悪影響を及ぼす外からの力や、内部で生じる様々な困難な問題(危機)に、屈することなく粘り強く対処し、克服し、より良く発展する能力」。レジリエンスがない場合、発展は望めない。
そのような折、世界に広がっていったレジリエンスに対する波をグローバルな視点でネットワーク化していくことを目的に、アメリカのロックフェラー財団が「世界100のレジリエント・シティプロジェクト(100RC)」を発足させました。同プロジェクトは1,000以上の応募があった都市の中から3年かけて100都市を選定。日本からは京都市と富山市が選定されています。
実はこのプロジェクトには、地球規模で都市化が進むもとで都市そのものの在り方を、かつ立ち直りへの内在性を持った存在として世界中に散在させることで、様々な災害や気候変動に対して地球環境を守ることができるのではないか。そのような意図も含まれています。
1986 年 チェルノブイリ原子力発電所事故 |
1995年 阪神・淡路大震災 |
1997年 京都議定書採択 |
2001年 9.11 アメリカ同時多発テロ事件 |
2004年 スマトラ島沖地震津波災害 |
2005年 ハリケーン・カトリー ナ |
2011年 東 日本大震災 |
2012年 ハリケーン・サンディ |
2015年 パリ協定採択 |
2020年 新型コロナウイルス感染が世界的に蔓延 |
その他地震活動期、気候変動、国際テロ続発
―京都市が選定された背景をどのように考えていますか。
公式な選定理由は明らかにされていませんが、ひとえに京都市が残してきた歴史に尽きると思います。
京都市は1000年以上、日本の都として栄えてきました。しかし、その間、天然痘をはじめとした疫病、地震、大火、戦乱を数多く経験し、明治維新によって都の地位をも失うなど、様々な危機に直面してきました。しかしその都度、不死鳥のごとく復活してきた歴史があります。太平洋戦争においては、大規模な空襲を免れたことによって、古い町並みや歴史遺産が数多く残り、日本の精神文化や伝統・芸術の拠点として、新たな役割を担う都市として生まれ変りました。これは、まさにレジリエンスが示す“落ち込んだとき、それ以上に復活する、違った形で回復する”といった概念に合致します(図表2)。きっとこれらの歴史が、いの一番に評価されたのだと思います。
京都が100RCに選定された意義
〜京都の歴史を振り返ると〜
≪1200年の繁栄は危機と再生の繰り返し≫
・平安期、安土桃山時代をはじめとする震災の克服
・応仁の乱、天明等の大火からの復興
・明治維新の京都策…番組小学校、琵琶湖疏水・水力発電、建都1100年事業・時代祭
≪成功の背景は≫
緊密な地域のコミュニティ、祭礼や伝統文化、町衆の伝統への自負、産業の隆盛
→ピンチをチャンスに変えてきた力
また、歴史とともに京都に根付いた「人々が支え合う精神」「地域コミュニティの文化」こそが、評価に値する京都を作り上げたといっても過言ではありません。選定された各都市は独自の戦略を策定して動き出していますが、京都市は特別に新たな政策を生み出したり、施設を建設するのではなく、レジリエンスという概念を行政、民間企業、地域住民が共有して進めていくことに意味があると考えています。縦割りを排除して横串を通して施策を融合していくと表現したほうがわかりやすいかもしれません。そのため京都のレジリエンス戦略では、市民にも端的に伝わるように6つの重点的取組分野を設定し、公表しています(図表3)。
レジリエント・シティ実現に向けた6つの重点的取組分野
番組小学校が築いた市民の支え合う精神
―藤田CROが強調する「人々が支え合う精神」はどのように育まれてきたのでしょう。
明治維新までさかのぼる話になりますが、遷都によって1000年以上続いた都から一地方都市になってしまったわけですから、当時の人々は相当ショックを受けたことでしょう。人口も大幅に減り、にぎわっていた町も寂れてしまったといいます。ただ、そこであきらめず、次世代の京都を担う子どもたちのために何か行動を起こそうと「町衆」と呼ばれる市民が中心になって立ち上がったのです。それが学校の建設でした。明治2年のことです。しかしながら当時は、文部省もなく、学制発布もされていない時代でした。
―どのようにして学校は建てられたのですか。
地域住民たちが主体となって建てたのです。自分たちが持っている土地を提供し、建設費、学校運営経費などの財源も出し合い、足りない分だけを京都府が負担したといいます。こうして男女共学の義務教育を行う場として64校の「番組小学校※」が完成します。ただ、番組小学校は子どもたちの教育だけの場ではなく、保健所、消防署、税務署などの機能も兼ねていました。つまり、地域コミュニティの拠点として番組小学校は活用されていったのです。京都では、通学区域とほぼ同じ意味で学区という呼び方をしていますが、学区ごとに区民運動会や防災訓練など様々な取組が展開されています。このような活動が今も市内の全学区で行われているのは、大都市では全国に例を見ないと思います。明治初期から継承されている地域コミュニティの充実が、人々に支え合う精神を宿したのだろう、そう私は考えています。
※室町時代に発する「町組(ちょうぐみ)」を明治に再編した自治組織。各番組に原則、1校ずつ計64の小学校がつくられ番組小の名が付けられた。
景観保全を維持する不動産事業者の役割
―京都市がレジリエンス戦略で掲げた6つの重点的取組分野のひとつ「快適で安心安全なまち」で触れている景観・町並み保全についてはどのように対応しているのでしょう(図表3)。
地元の不動産事業者の方々の協力を仰いでいるところが多分にあります。
京都にはたくさんの京町家があり、それらが古い町並みを形成することで、日本を代表する歴史都市としての魅力を存分に発揮しています。しかし、京町家の所有者は、維持管理や改修に必要な資金の確保、そして相続税の負担など様々な悩みを抱えていることも事実です。京町家は個人の所有物であるため、最終的には所有者の判断に委ねざるを得ません。その結果、多くの人が京町家を手放すこととなり、近年調査した7年間でも実に5,602軒が減失する事態に陥ってしまったのです(図表4)。この状況に危機を感じた京都市では、2017年に「京都市京町家の保全及び継承に関する条例」を制定し、翌年5月から施行しています。この条例は、京町家について、取り壊しも含めた処分を検討する際、早い段階で京都市に届出をしてもらうことで、京町家の活用方法等について幅広い選択肢を表示し、多様な主体と連携しながら保全・継承につなげていくことを目的としたものです。
京都市における京町家の数
条例に定める「京町家」の定義
―この中で不動産事業者が関与しているわけですね。
その通りです。不動産事業者には、市の都市計画局のまち再生・創造推進室というセクションと連携しながら、所有者が抱える様々なお悩みの相談役として、専門的見地から活用方法の提案や活用希望者のマッチング等の支援を依頼しています。
また、日本各地で問題となっている空き家問題に関しても「京都市地域の空き家相談員」として宅地建物取引士の免許を持つ人に介在を依頼しています。直近でいうと、令和元年には約1,000件の相談がありました。また、この相談員等の専門家を無料で派遣する制度も実施しているところですが、制度創設以来400件以上の利用をいただく中で、実に7割の人が空き家の活用に向けて行動を始められたとの報告を受けています。同時に、行政だけでは空き家問題を解決することは難しいことから、特に市民の方や地域の力をいかに発揮いただくかに重点を置いた対策を進めており、地域の方に「自分ごと」「みんなごと」として地域の思いに沿った空き家の活用につなげていただけるよう「地域連携型空き家対策促進事業」も実施しています(図表5)。
地域連携型空き家対策促進事業の取組み事例
先ほどレジリエンスというのは、横串を通して施策を融合していくことだと伝えましたが、なにも融合させるのは行政の施策だけではありません。不動産事業者との関係性のように、行政の仕事と企業の仕事、地域住民の仕事を融合させていくことが大事な発想・施策につながっていきます。行政だけが何かを実施している、企業は利益を出すことに目くじらを立てている、住民だけが文句を言っている。決してそのような関係ではなく、各々が協力しあって、大きな目標に向かって共に歩んでいく。これがレジリエント・シティを実現する近道だと思います。
―最後に、全国の不動産事業者にメッセージをお願いします。
私は行政にしか携わっていない人間ですから大したメッセージは残せませんが、京都の民間業者の方と話をしているとき、肌で感じるのは、老舗の商法、いわゆるのれんを重んじた元来の商法です。決して一見さんお断りという排他的な思考ではなく、一度関係を持ったお客さんを、その後も大切にしていくという商いのことで、ただ売れるものを売ってよしとするのではなく、買っていただいたお客さんをその後も大事にしていく。そのためには今さえ良ければという発想ではなく、いい関係を育むために歩み寄ろうとする。そのような想いを感じるのです。おそらく、地域に根ざしている不動産事業者の方も似たような感覚で事業に携わり、お客さんに接しているのではないかと思います。ましてや不動産という一生に一度あるかないかの大きな売買に携わるわけですから、例えば「家を購入した人がその地域で幸せに暮らしているだろうか」「地域住民の方と心豊かに時を刻んでいるだろうか」等、様々な想いを馳せておられるのではないでしょうか。地球の温暖化がもたらす自然災害、世界各所で見られる度を越した都市化、人口減少等様々な問題を抱えている時代になったからこそ、のれんを重んじて商いをする不動産事業者が着実に発展されることを心から望んでいます。
レジリエント・シティ
京都市統括監(CRO)
藤田 裕之 氏
1955年生まれ、兵庫県出身。京都大学卒業後、京都市役所に勤務、教育委員会生涯学習部長、右京区長を経て、2013年に京都市副市長に就任。2017年3月任期満了に伴い退任。2017年4月から現職。