賃貸相談
2020.06.12
不動産お役立ちQ&A

Vol.32 敷金返還請求と原状回復義務


Question

アパート賃貸借が終了し、賃借人が退去した後の貸室を確認したところ、特に傷んだ箇所はありませんでした。その後、これまでと同様にクロスの張替え費用とハウスクリーニング費用を差し引いて敷金返還金を振り込んだところ、賃借人から、貸室はきれいに使ったのだから敷金は全額返してもらいたいと要求されました。賃貸借契約書には、賃貸借が終了したときは貸室を原状に復して明け渡さなければならないときちんと規定されています。したがって、契約締結時と同じ原状に回復するために新品のクロスに張り替えたり、ハウスクリーニングをしたりするのは当然のことだと思います。原状回復が賃借人の義務であることが明記されていても、敷金を全額返還しなければならないのでしょうか。

Answer

原状回復義務の内容については争いがありましたが、令和2年4月1日から施行された改正民法では、賃借人は通常損耗については原状回復義務を負わない旨が明文化されました。賃貸借が終了したとき、賃借人は貸室を原状に復して明け渡すと賃貸借契約に規定されている場合、賃貸人は通常損耗についての原状回復を賃借人に求めることができないことが明確にされました。ただし、民法の原状回復に関する規定は任意規定ですので、民法とは異なり、通常損耗について賃借人が原状回復義務を負うとの特約を設けることも認められます。その場合には、賃借人が負担する通常損耗の範囲が賃貸借契約書に具体的に明記されているか、そうでない場合は、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められる等、通常損耗補修特約が明確に合意されていることが必要であるとするのが最高裁の判例です。

1.賃借人の原状回復義務の内容

改正前民法では、賃借人の原状回復義務の内容を規定した条文はありませんでした。このため、原状回復義務の内容については、「原状」という用語の国語的な語義からすると「元の状態」を意味しますので、元の状態、つまり賃貸借契約締結当時の貸室の状態を指すものと考え、賃借人は、貸室内については、畳表や襖を張り替え、クロスも張り替え、ハウスクリーニングを施した状態にして明け渡すべきだとの契約実務も存在していました。

しかし、「原状回復」とは法律用語であり、単なる語義からのみ解釈されるわけではないのです。賃貸借契約は目的に従って使用収益されるものですから、契約で定めた目的どおりに使用収益しても損耗が発生し、賃貸人はこれに対する賃料を収受していますので、いわゆる「通常損耗」については、既に賃料によりカバーされているものと解されています。この理を明らかにしているのが国土交通省住宅局で公表している「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」です。改正民法は、基本的にはこのガイドラインと同様に、賃借人は通常損耗については原状回復義務を負わない旨を明文で定めました(改正民法621条)。

※賃借人の退去時における原状回復をめぐるトラブルの未然防止のため、原状回復の費用負担のあり方について、一般的な基準をガイドラインとして取りまとめたもので、通常損耗を「賃借人の通常の使用により生ずる損耗等」(日照等による畳・クロスの変色等)と規定している。

2. 原状回復についての改正民法の規定は任意規定

改正民法における原状回復についての規定は絶対的なルールというわけではなく、民法と異なる特約も有効であると解されます。したがって、賃貸借の当事者は、賃借人が通常損耗についても原状回復義務を負う旨の特約をすること自体は可能です。

ただし、そのためには、最高裁が示した条件を遵守することが必要です。最高裁は、「建物の賃借人にその賃貸借において生ずる通常損耗についての原状回復義務を負わせるのは、賃借人に予期しない特別の負担を課すことになるから、賃借人に同義務が認められるためには、少なくとも、賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲が賃貸借契約書の条項自体に具体的に明記されているか、仮に賃貸借契約書では明らかでない場合には、賃貸人が口頭により説明し、賃借人がその旨を明確に認識し、それを合意の内容としたものと認められる等、その旨の特約(以下「通常損耗補修特約」という)が明確に合意されていることが必要であると解するのが相当である」と判断しています(最高裁平成17年12月16日判決)。したがって、通常損耗について賃借人が原状回復義務を負う旨の特約を設ける場合は、その通常損耗の範囲を賃貸借契約書自体に具体的に明記し、賃借人がその旨を明確に認識できるようにすることが必要とされていることに留意してください。

民法の原状回復に関する規定

賃貸借が終了したとき、賃借人は貸室を原状に復して明け渡すと賃貸借契約に規定されている場合、賃貸人は通常損耗についての原状回復を賃借人に求めることができない。

→ただし、上記は任意規定のため、賃貸借の当事者は、賃借人が通常損耗についても原状回復義務を負う旨の特約(通常損耗補修特約)をすることは可能。

通常損耗補修特約を付ける場合、最高裁(平成17年12月16日判決)が示した条件遵守が必要

最高裁の条件とは
  • 賃借人が補修費用を負担することになる通常損耗の範囲を賃貸借契約書の条項に具体的に明記する。
    もしくは
  • 賃貸人が、賃借人の負担する通常損耗の範囲を口頭で説明し、賃借人がその旨を明確に認識した上で、合意する。

今回のポイント

  • 令和2年4月1日施行の改正民法で、賃借人は、通常損耗については原状回復義務を負わない旨が明文化された。
  • 通常損耗とは、賃借人が賃貸借契約で定めた目的に従って使用収益し、通常の住まい方、使い方をしていても、発生すると考えられるものをいう(畳表がすれた状態、壁・クロスの自然的な劣化等)。
  • 改正民法では、賃借人が原状回復義務を負うのは特別損耗についてであり、賃借人の故意、過失、善管注意義務違反となるような賃借人の住まい方、使い方次第で発生したり、しなかったりすると考えられるものをいう。
  • 改正民法の原状回復の規定は任意規定であるので、民法と異なる特約も認められるが、その場合には、賃借人が負担する通常損耗の範囲を具体的に賃貸借契約書に明記するか、賃貸人が口頭で賃借人の負担する通常損耗の範囲を具体的に説明し、賃借人がそれを認識した上で合意することが必要である。

江口 正夫

海谷・江口・池田法律事務所
弁護士

江口 正夫

1952年広島県生まれ。東京大学法学部卒業。弁護士(東京弁護士会所属)。不動産流通促進協議会講師、東京商工会議所講師等を歴任。公益財団法人日本賃貸住宅管理協会理事。著書に『不動産賃貸管理業のコンプライアンス』(2009年8月、にじゅういち出版)など多数。