まちの紹介
2023.09.14

100年先も人々と企業から選ばれる『スーパースマートシティ』を目指して
~栃木県宇都宮市~


宇都宮駅東口の整備や次世代型路面電車システム・LRTの開業、そして「スーパースマートシティ」の土台となる「ネットワーク型コンパクトシティ」の形成―。
平成20年に宇都宮市が描いたまちづくり構想は着々と具現化されています。
特集では、10月19日に開催される「全国不動産会議 栃木県大会」の舞台となる宇都宮市の変容をリポートします。

騒音や振動が少なく、快適な乗り心地が特徴のLRT
騒音や振動が少なく、快適な乗り心地が特徴のLRT。個性的で洗練されたデザインはまちのシンボルに。

県の中心を担い北関東を代表する都市へ

宇都宮市の歴史は古く、平安時代は二荒山(ふたあらやま)神社の門前町として、江戸時代には宇都宮城の城下町として栄えてきました。風情ある街並みが、いまも市庁周辺に残る一方、企業や県の行政機関が集まる中心地としてにぎわいを見せています。また、JR宇都宮駅には、東北新幹線、山形新幹線、宇都宮線、日光線、烏山線が乗り入れ、道路網でも東北自動車道、北関東自動車道が通るなど充実しています。首都圏のベッドタウンとして人気を博し、北関東を代表する50万都市へと成長を遂げています。

これまでは東武宇都宮駅周辺、いわゆるJR宇都宮駅の西側にあたるエリアを中心に発展してきた宇都宮市ですが、近年は東側の開発に力を入れています。それが令和4年に形を成した「宇都宮駅東口地区整備事業」です。事業の目的を「広域かつ多様な交流やにぎわい創出と、都市の競争力や地域経済の活性化などに資する高次な都市機能の集積」とし、民間の企画力や資金力を最大限に活用したPPP(公民パートナーシップ)によるまちづくりを実施しています。

LRT沿線500m町丁目の人口の推移

LRT沿線500m町丁目の人口の推移
出典:住民基本台帳(各年9月末)
(※)基本方針:東西基幹公共交通の実現に向けた基本方針(H25.3 策定)

宇都宮市全域の人口は、ピーク時からやや減少傾向となっているものの、LRT沿線については、増加した人口が維持されている。

オリオン通り商店街
東武宇都宮駅の駅前から約500mにわたっておよそ120店舗が軒を連ねる「オリオン通り商店街」。

市の主導で始動した宇都宮駅東口の整備

ここで宇都宮駅東口が整備されるまでの経緯を振り返ります。まず昭和55年に、駅東側地区の宅地化を受け、東西自由通路が開通。平成7年度以降、宇都宮市が旧国鉄清算事業団から駅東口に広がる約2.8ヘクタールの国鉄・操車場跡地を取得します。土地区画整理事業により、平成20年には新しい駅前広場が誕生。開発予定業者も確定し、これから再開発が本格的に始まると思われた矢先、リーマンショックの影響で、開発業者が辞退する不運に見舞われてしまいます。当時のことを宇都宮市都市整備部 市街地整備課 係長の朝日氏は、「市が事業用地を取得し、準備していたのにも関わらず、断念しなければならないのは残念でした。しばらくの間は宇都宮の老舗餃子専門店や駐車場による暫定利用が続いておりましたが、次世代型路面電車・LRTの整備を契機として、改めて本地区の整備を進めてきました」と振り返ります。

平成30年になると、宇都宮駅東口整備方針が作成され、事業は本格化。その内容はネットワーク型コンパクトシティの形成を目的とし、コンベンション施設、商業施設やオフィス、宿泊施設、交流広場、病院などが集まる都市拠点を公民連携で作るというものでした(下記図参照:JR宇都宮駅東口地区整備事業の施設配置図)。さらにこのタイミングで、JR宇都宮駅東口を発着点とし、市の総合的な公共交通ネットワークの軸となる、次世代型路面電車・LRTの工事がスタートしました。

JR宇都宮駅東口地区整備事業の施設配置図
民間施設の土地利用は定期借地方式が基本ベース。借地とすることで市の資産を減らすことなく、安定的かつ長期的に歳入を確保することができるといった狙いもある。

宇都宮駅東口地区整備事業は令和4年を目途に整備を進めてきましたが、いまだ計画見直し中のエリアが存在します。この用地活用に関して、朝日氏は「ハイブランドホテルの誘致を検討している」と話します。その理由に「宇都宮市は観光利用客も少なくはありませんが、市内にはCanonやカルビーといった大手企業が建つ清原工業団地等があり、ビジネス用途で宿泊される方が多くいます。また、宇都宮駅東口地区エリアに高度専門病院やコンベンション施設が建設されたことで、医療系の学会を始め、多目的に利用する団体等が多く見込まれています。同じ区画に建設されたウツノミヤテラス内にもホテルが入居しましたが、より多くの需要を想定しハイブランドなホテルの誘致を検討しているのです」と話します。

誰もが移動しやすく住みやすいまちづくりを

宇都宮駅東口地区整備事業は宇都宮市が掲げるネットワーク型コンパクトシティ(以降:NCC)の一環だと前出の朝日氏は話していました。ではNCCとは一体何を指すのでしょうか。宇都宮市都市整備部 NCC推進課 係長 田中氏に聞くと「都市の多様な機能を複数の拠点へ集約(コンパクト化)し、こうした拠点間を利便性の高い公共交通を中心とする交通手段で結ばれた(ネットワーク化)都市」と話します。続けて、NCCを掲げた背景に、市街地の拡大を原因に挙げ、「昭和55年頃から顕著になった人口増加やマイカーの普及に伴い、郊外部まで市街地が広がり、住宅や生活に身近な施設・店舗が拡散する状況となっています。このような中で,人口減少などが進むと低密度な市街地となり、生活に必要な施設や公共交通の利用者が減少し、身近な病院やお店が撤退するなど、不便で住みづらいまちになってしまいます」と説明します。また、鉄道やバスの本数や路線の減少も引き起こし、高齢者など、車を持たない人は必要な店舗に行くことが困難になる恐れがあります。これらの課題を解決するのが、各地域に拠点を配置し、生活に必要な機能を集積させ、拠点を結ぶ交通ネットワークを形成するNCCだといいます。

8月26日に次世代型路面電車システム・LRTが開業しましたが、このLRTこそが公共交通ネットワークの要となります。LRTは、「Light Rail Transit(ライト・レール・トランジット)」の略称で、自動車やバス、自転車など各種交通との連携や低床式車両(LRV)の活用、軌道・停留場の改良による乗降の容易性などの面で優れた特徴がある次世代の交通システムのことです。停留場と車両に段差がなく、子どもから高齢者まで、誰もが安全に利用できるよう配慮されています。宇都宮駅東口停留場から、芳賀・高根沢工業団地停留場までの約15kmを約44分でつなぎます。田中氏は「これまで市の南北を結ぶ交通網はありましたが、東西を結ぶ交通網がありませんでした。現時点で、LRTはJR宇都宮駅東口から芳賀・高根沢工業団地区間を走るモビリティですが、将来的にはJR宇都宮駅西口を超えて、約20kmの延伸を検討しています」と話します。

雷の光(稲妻)を表現した配色が特徴的な車体。
雷の光(稲妻)を表現した配色が特徴的な車体。
車内の様子
座席などにもシンボルカラーの黄色を配色。
JR宇都宮駅西側のLRTルート
JR宇都宮駅西側延伸については、令和4年8月に検討区間及び整備区間を示した。「JR宇都宮駅東口停留場から栃木県教育会館付近」を、着実に整備を進める「整備区間」として、今後、関係機関との協議や沿線関係団体等との意見交換に取り組みながら、整備に取り組んでいく。

NCCで形成される宇都宮市の未来像

NCCで形成される宇都宮市の未来像
これまでの都市の成り立ちなどを踏まえ、中心市街地に加えて、鉄道駅周辺や旧町村の中心部などに身近な地域拠点を設け、拠点内に生活に便利な施設を誘導・集積する。また、拠点間を結ぶLRTの整備やバス路線の充実を図るとともに、各地域内を面的にカバーする地域内交通を導入することで誰もが利用しやすい公共交通ネットワークを構築する。

カギを握るLRT沿線のにぎわい創出

NCCは完了ではなく、まだまだ通過点だと前出の田中氏は話します。「LRTが開業したことで、これからは沿線のまちづくりがカギです。多くの人が往来することが容易に想像できますし、交流も広がるでしょう。すでにLRTの停留場付近に移り住む人が増えてきています。現在、平石停留場近くに、アーバンスポーツを楽しめる総合公園を建設する計画を立てています。同様に、LRTを走らせるだけではなく、にぎわい創出にも努めていきます。LRTの延伸計画に伴い、JR宇都宮駅西口側の再開発・整備の計画も進めています。今後とも、LRTを基軸とした公共交通と一体となったコンパクトなまちづくり「NCC」を一層推進することで、本市が多くの人や企業から選ばれ、100年先も持続的に発展できるまちづくりを着実に推進していきます」。

BMX、スケートボード、パルクール、ブレイクダンス等、広い競技場などを必要とせず都市の中でできるスポーツ

写真提供:宇都宮市

文武に秀でた坂東武士 宇都宮一族の系譜をたどる

二荒山神社

平安時代末期から約400年の間、二荒山神社の神官を兼ね、宇都宮の地を統治していた宇都宮一族。坂東武士の中でも文武に才を残した一族の功績を紹介します。

武士の始まりといわれ、関東一体で勢力を築いた武士の総称である「坂東武士(ばんどうぶし)」。宇都宮にも長きにわたり、繁栄を成した坂東武士が存在したといいます。その一族のある者は、鎌倉時代に幕府の要職に就き、有力御家人として活躍。また、ある者は元寇の襲来では総大将に任命され、大軍を率いて九州へ。そのほか室町時代には、幕府を開いた足利尊氏や天下統一を成し遂げた豊臣秀吉を支えた武将として活躍する者もいました。その一方で、和歌に才を発揮し、百人一首にゆかりのある者もいたといいます。初代・藤原宗円(ふじわらのそうえん)から22代・宇都宮国綱まで続いた宇都宮氏。中でも功績を残した人物を宇都宮市教育委員会事務局 副参事の今平氏に聞きました。

・ 3代 宇都宮朝綱(ともつな)
「宇都宮」の姓を最初に名乗ったとされる人物で、1189年に起きた対奥州藤原氏との闘い奥州合戦に参加。源頼朝軍勝利に大きく貢献しました。

・ 5代 宇都宮頼綱(よりつな)
鎌倉幕府にそむいた疑いをかけられ、出家し「蓮生(れんしょう)」と名乗ります。歌人としての才に恵まれ、古今和歌集の作者・藤原定家と親交が深かったそうです。蓮生の住む山荘の襖に貼る色紙和歌を定家が選び、その和歌集は後に百人一首の元になったといわれています。

・ 7代 宇都宮景綱(かげつな)
鎌倉幕府の武家法である「御成敗式目」にならい、一族の統制強化を目的とした家法「宇都宮家弘安式条」を制定しました。武家の家法では日本最古級となるものです。

・ 8代 宇都宮貞綱(さだつな)
1281年の元寇に対し、日本の総大将として、約6万人の兵を率いて九州に出陣したといわれています。しかし、暴風などの影響もあり、実際に元軍と戦うことはありませんでした。しかし貞綱を総大将に任命するなど、幕府の宇都宮氏に対する信頼は厚かったことがうかがえます。

・ 9代 宇都宮公綱(きんつな)
鎌倉時代も末期になると倒幕の動きが活発になりました。宇都宮氏も幕府軍として大坂の四天王寺に向かい、楠木正成ら反幕府軍と対峙しました。ただ、公綱は坂東一の弓矢取りとして有名だったことから、恐れをなした楠木正成は直接の対決を避けたといわれています。

宇都宮公綱像(『下野國誌』巻九)
宇都宮公綱像(『下野國誌』巻九)
鎌倉時代から南北朝の動乱期にかけて活躍した武将。坂東一の弓矢取りと称される。

・ 10代 宇都宮氏綱(うじつな)
南北朝の争乱において、足利尊氏側について活躍したといわれています。勝利の功績として、氏綱は越後(現在の新潟県)と上野(こうずけ)(現在の群馬県)の守護に命じられます。

・ 22代 宇都宮国綱(くにつな)
宇都宮一族・最後の将です。1590年、豊臣秀吉が小田原征伐の際、秀吉側について活躍し、豊臣政権下の大名になります。ただ、1597年に突然、領地や身分を取り上げられてしまいます。一説によると検地の際、実際より少ない石高を申告をしたことなどが理由といわれています。

宇都宮城址公園
宇都宮城址公園 宇都宮城の本丸西半分を復元した公園。
宇都宮城を築いたのは、藤原秀郷とも藤原宗円ともいわれている。
興禅寺
興禅寺
1314年、8代城主宇都宮貞綱が開いた寺。宇都宮貞綱、公綱の墓碑が院内に存在する。