まちの紹介
2024.04.12

シャッター街からの回生
生まれ変わった柳ケ瀬商店街
~岐阜県岐阜市~

生まれ変わった柳ケ瀬商店街

郊外型大型店の出現や常連客の高齢化等が要因で、衰退傾向にある日本の商店街。それは岐阜市を代表する柳ケ瀬商店街も同様です。しかし、10年ほど前から始めた若者等の誘客イベントによって柳ケ瀬は、かつてのにぎわいが戻りつつあります。

商店街の衰退を招いた岐阜繊維業の衰退

JR岐阜駅から北へ10分ほど歩いた場所にある柳ケ瀬商店街。300m×300mの広域商店街には小売店や飲食店が軒を連ね、以前は多くの人が訪れていました。昭和を代表する歌謡曲『柳ヶ瀬ブルース』の大ヒットもあり、柳ケ瀬の名は全国区になったといいます。しかし時代の流れでしょうか。郊外型大型店の出現やECサイト等の消費スタイルが一般化すると、にぎわいは影を潜め、いつしか“シャッター街“へと姿を変えてしまいます。その要因を岐阜柳ケ瀬商店街振興組合連合会(以降、柳商連)理事長の林亨一氏(以降、林氏)は、「柳ケ瀬の衰退には様々な要因が絡んでいますが、国内の繊維産業の衰退がトリガーになったと思います」と話します。

聞けば、国内で繊維産業が花形だったころ、岐阜市は国内で1、2位を争う繊維の一大産地だったといいます。発端は、戦後焼け野原となった国鉄岐阜駅(現:JR岐阜駅)周辺に、北満州からの引き揚げ者たちが中心となってバラック小屋を作り、古着や軍服等の衣服を集めて始めた商売でした。その後、古着だけでなく、布を羽島市や一宮市から仕入れ、新しい服を作って売る岐阜の既製服産業として隆盛を迎えます。岐阜の既製服は日本中に知られるようになり、駅周辺には市場や共同販売所が設けられ、繊維問屋街が形成されます。1951年には、岐阜繊維問屋町連合会(現在:(一社)岐阜ファッション産業連合会)が誕生し、岐阜既製服産業の売上高は天井知らずの状態が続いたといいます。続けて林氏は、「柳ケ瀬は、明治のころから元々盛り場としてにぎわっていた場所でした。繊維問屋街を抜ければ、現在の柳ケ瀬商店街に通じます。その一帯には飲食店やキャバレーのほか、鞄屋、靴屋、アクセサリー、衣料の小売店が軒を連ねていました。また、明治、大正のころから柳ケ瀬一帯には呉服屋が多くあったことから、百貨店が何軒も建設され、昼夜問わず、市内外からの訪客であふれていたそうです。当時は、交通手段が岐阜駅しかなかったことも関係しているのでしょう。駅の利用客は柳ケ瀬を通る必要がありました。人の流れが途切れなかったこともあり、柳ケ瀬が繁華街になったのは必然だったといえます。裏を返せば、繊維業が衰退したため、人の流れが停滞したのです」と話します。 その煽りは徐々に柳ケ瀬商店街から人の流れをも減少させていきます。バブル崩壊後、近鉄百貨店や長崎屋をはじめ、商店街にあった百貨店や大型商業施設が相次いで撤退。最後まで残っていた髙島屋も2024年7月31日に閉店してしまいます。この一連の出来事に関して林氏は「髙島屋の撤退で、完全に昭和の時代が終わったんだなと実感しました」と吐露します。

昼夜を問わず、すれ違うたびに肩がぶつかるほどの人ごみ状態だった柳ケ瀬商店街(昭和40年代)
昼夜を問わず、すれ違うたびに肩がぶつかるほどの人ごみ状態だった柳ケ瀬商店街(昭和40年代)

商店街に活気を呼ぶ柳商連関係者の奮闘

繊維業の衰退、そして相次ぐ百貨店や大型商業施設の撤退により、柳ケ瀬商店街は停滞を余儀なくされていきます。そのような状況下、柳商連関係者たちは一念発起して若者を誘客する試みを開始します。それが2011年の「柳ケ瀬恐竜ラリー」でした。商店街の来訪者の高齢化が課題と捉えていた柳商連は、若者、とくに子どもたちの興味をひくイベントを開催すれば状況は変わるのではと考えたそうです。メインとなる恐竜はリアルさを追求し、岐阜県郡上市のロボット製作所がつくった原寸大の恐竜ロボットを取り寄せ、複数体をアーケード内に展示。恐竜クイズラリー、体験イベント等を実施し、多くの家族連れや若者を誘客することに成功します。同イベントは大きな反響を呼び、翌年から「柳ケ瀬ジュラシックアーケード」と名前を変え、毎年数万人の来街者を見込む、柳ケ瀬の秋の風物詩として定着します。

2012年から始まった「柳ケ瀬ジュラシックアーケード」
2012年から始まった「柳ケ瀬ジュラシックアーケード」は毎年、数万人が訪れる柳ケ瀬の一大イベント

来街者の復活に光を見出した柳商連関係者が、次なるテーマに掲げたのが新マーケットの創出でした。独自に行った調査によれば、多くの若者は製造小売店や個性的な商品を扱うセレクトショップに興味を持っていることが判明します。

中でも若年層の女性は、柳ケ瀬商店街で購入したい商品に「そこでしか買えないもの」に興味を持っていることがわかったのです。このデータを元に新規顧客を開拓するため、20~40歳の女性をターゲットにした定期市を企画します。それが、2014年に始まったサンデービルヂングマーケット(以降、サンビル)でした。サンビルはアーケード下を出店会場とするイベントであり、新規顧客層を開拓するとともに、集まった出店者を柳ケ瀬地区の空き店舗に新規出店するよう促す新しい取り組みでもありました。試みは奏功し、来街者は常時4,000人ほどを数え、サンビルの出店者数は当初の約50店舗から約140店舗まで増加しています。

図表1 柳ケ瀬グランドビジョン

柳ケ瀬グランドビジョン
毎月第3日曜日に開催されるサンデービルヂングマーケット。
毎月第3日曜日に開催されるサンデービルヂングマーケット。
毎月第3日曜日に開催されるサンデービルヂングマーケット。
毎月第3日曜日に開催されるサンデービルヂングマーケット。柳ケ瀬商店街の通りでマルシェ(市場)を開催。集客機会を増やすとともに、まちのファンを創出することを目的としている。その一方で出店希望者を掘り起こし、出店希望者の固定客を創造する狙いもある

また、柳商連関係者たちは、商店街の空き店舗や空きビルといった遊休不動産の利活用にも取り組んでいます。その代表的な事例が、フィルム上映を行う映画館が残る「ロイヤル劇場ビル」のリノベーションです。築40年が経過した同ビルは、時代とともに空き店舗が目立ち始めていましたが、2016年にビルの大部分を改築し、「ロイヤルビル40」として生まれ変わります。オープンとなる翌年までに、1階には飲食店やセレクトショップ、雑貨屋、インテリアショップなどが次々と入居。2階には、缶バッジの制作やシルクスクリーン印刷が体験できるショップ、ギャラリーなどが出店し、雰囲気も様変わりします。その個性的なショップ目当てに、それまでの商店街の客層とは違う若い世代や親子連れが柳ケ瀬を訪れるようになり、活性化に輪をかけたといいます。

遊休不動産をリノベーションし、商店街の人気スポットに生まれ変わった「ロイヤル40」。今では珍しいフィルム上映を行うロイヤル劇場も健在で、古き時代のエントランスに足を止める人も多い
遊休不動産をリノベーションし、商店街の人気スポットに生まれ変わった「ロイヤル40」。今では珍しいフィルム上映を行うロイヤル劇場も健在で、古き時代のエントランスに足を止める人も多い
親子で仮装パレードを楽しめる「やながせハロウィンフェス」や100種類のワインやクラフトビールを楽しめる「ヤナガセWINEフェスタ」(2023年初開催)等、柳商連が主催するイベントは多数
親子で仮装パレードを楽しめる「やながせハロウィンフェス」や100種類のワインやクラフトビールを楽しめる「ヤナガセWINEフェスタ」(2023年初開催)等、柳商連が主催するイベントは多数

新たな店主候補が生計を立てられる街に

柳商連関係者がイベント等の企画に試行錯誤していたころ、柳ケ瀬の高島屋南地区で再開発が始まります。時を戻せば、柳ケ瀬の高島屋南地区で再開発の構想が持ち上がったのは1988年のこと。岐阜県商店街振興組合連合会が、木造家屋が多かった同地区の再開発を提案しましたが、当時、柳ケ瀬の景気は良く、リスクを冒す必要ないとの意見が多かったこともあり、再開発の機運は高まりませんでした。しかし、郊外に大型店が進出してくると、客離れが顕著になり、先述したように柳ケ瀬からも百貨店や大型スーパーが撤退すると、準備組合が発足。その後、県からの事業許可も下り、構想から30数年の時を経て、ひときわ目立つ35階建て高層ビル「柳ケ瀬グラッスル35」が完成します。住居のほか、飲食店や公共施設等が入居する新たなランドマークの誕生は、定住人口だけでなく、交流人口の増加も促すとして、大きな期待を集めています。この件に関して林氏は「新たに住民が来るということで、商店街側の人間から見ればお客様が増えるという捉え方をしますから、大変喜ばしいことです。元々は空き店舗の場所に建設されたのですから有効に活用されていると思います」と話します。

高さ132.64mを誇る商業・住居複合の超高層ビル「柳ケ瀬グラッスル35」。2023年3月に竣工
高さ132.64mを誇る商業・住居複合の超高層ビル「柳ケ瀬グラッスル35」。2023年3月に竣工

地元を愛する商店街、住民、そして行政の想いが重なり、にぎわいを取り戻し始めた柳ケ瀬商店街。時代とともに形が変わったとしても、以前のような活気が戻ったのではと林氏に聞くと「長く続いた停滞時期から復活の兆しこそ見られますが、道半ばといった印象です。岐阜のような地方都市が生き残っていくためには、まず“皆が住みやすい街”でなければなりません。人々が住みやすいと感じる場所にマッチした商業集積こそ、生き残る商店街だと思います。来街者の年齢層に関して若返りに成功しているように思えますが、サンビル等のイベントが開催されていない日は、それほど人出は多くはありません。イベント開催時のような人手を保つために、即、対処しなければならないのは、店主たちの高齢化、そして後継者不在の問題なんです。そのためサンビル等で、“柳ケ瀬で店を開きたい”と思ってくれる若い店主候補を探しているんです。でも彼らが柳ケ瀬で商売を始めても店舗の売り上げだけで生計を立てることができなければ意味を成しません。次の時代にバトンを渡すためには、商店街の店舗も訪れる人も若返りを図らなければならない。個人的に思っているのですが、イベント等を開催しながらローカルヒーローが出現しないかと願っています。若い店主候補が、柳ケ瀬で商売を始めて成功を収める。そのような好事例ができれば“私もあの人みたいになりたい、柳ケ瀬で商売を始めたい”といった人たちが後に続くのではないか。そのように考えてしまうのです」と話します。そして最後に「幸いにも今の柳ケ瀬には地元愛の強い方、協力を惜しまない方が、若い人を含め、多くそろっています。今後も彼ら彼女らと協力しながら柳ケ瀬を〝若い店主が自分らしい暮らしをしながら食べていける街”そして、“好きなことを存分に満喫したい人が集まる街”。そういう街を創り出す商店街として存続させていきたいです」と語ります。

図表2 年表で見る柳ケ瀬地域のあゆみ

年表で見る柳ケ瀬地域のあゆみ