まちの紹介
2025.09.12

人気観光地に見るインバウンドの光と影
神奈川県箱根町


箱根の紹介
海賊船(遊覧船)から臨む芦ノ湖。箱根町のタクシー運転手曰く、外国人観光客がまず「ここに行きたい!」というのが芦ノ湖なのだそう。目的は湖と富士山を背景にしての記念撮影。

インバウンドが活況です。
観光地には多くの外国人観光客が訪れ、日本経済にとって追い風となっています。
一方で、オーバーツーリズムやマナー違反といった課題も各地で浮上し、観光のあり方が改めて問われるようになってきました。
インバウンドがもたらす「光と影」は、観光地の不動産にも少なからず影響を及ぼしています。
今回は、伝統ある観光地・箱根町を訪ね、インバウンドによる変化とそこで起きている現実を、不動産的な視点からもレポートしていきます。

観光地に押し寄せる“好景気”

近年、訪日外国人旅行者、いわゆる「インバウンド」が再び活況を呈しています。日本政府観光局(JNTO)の発表によれば、2024年の訪日外国人旅行者数は3,687万人と、コロナ前の2019年を超えました(図表1)。円安やビザ緩和といった要因も相まって、日本各地の観光地には外国人観光客の姿が戻ってきています。

図表1:直近10年の訪日外客数の推移(年別)

図表1:直近10年の訪日外客数の推移(年別)
出典:国土交通省 令和7年地価公示データより抜粋

また、この動きは不動産市場にも影響を与えています。国土交通省が3月18日に発表した公示地価は、4年連続で前年から上昇し、全国平均の上昇率は2.7%。バブル期以降、最大となりました。また、住宅地は北海道富良野市、長野県北安曇郡白馬村、沖縄県宮古島市などのリゾート地で大きく上昇。全国でも上位を占め、リゾート地での地価高騰は、一部では「第2のバブル」とも呼ばれる熱狂を生んでいます(図表2)。

図表2:2025地価公示 住宅地上昇率ランキング

2025地価公示 住宅地上昇率ランキング
出典:国土交通省 令和7年地価公示データより抜粋

この背景には、外国人富裕層による別荘需要の再燃、さらには投資目的での土地購入の増加があります。かつては国内の富裕層が中心だったリゾート地の不動産市場に、いまや海外からの買い手が本格参入し、物件価格を押し上げているのです。特に自然景観や希少性の高いエリアでは「キャッシュで即決」といった取引も珍しくなく、地域の相場感とはかけ離れた価格での売買が相次いでいます。

さらに、民泊や短期賃貸への活用を視野に入れた“収益型別荘”の需要も高まっており、土地の利活用が、従来の「別荘地としてのんびり過ごす」から「収益を生む資産へ」と変化しつつあるのです。こうした動きが、もともと流通量の少ないリゾート地の地価をさらに押し上げる結果となっていると考えられます。

箱根町の観光地としての現状

このような全国的な傾向を踏まえて、伝統ある観光地の代表格である神奈川県・箱根町を訪ねました。言わずと知れた温泉観光地である箱根も、インバウンド復活の恩恵を大きく受けています。

2024年の観光客数は約2,031万人(日本人、日帰り客含む)と、6年ぶりに2,000万人の大台を突破。中でも外国人宿泊客数は前々年比1185.3%増という驚異的な伸びを見せ(図表3)、町としても外国語パンフレットを作成するなど、積極的な受け入れ策を講じています。

図表3:箱根の観光客・宿泊客数の推移(令和1~6年)

図表1:直近10年の訪日外客数の推移(年別)
出典:箱根町ホームページのデータをもとに作成

また、2026年にはハイアットホテルズ初の温泉旅館ブランドや、三井不動産がマリオット・インターナショナルと提携する高級ホテルなど外資系ホテルが開業を予定しており、ますます外国人観光客が増加することが見込まれます。一方で、国内からの観光客は前年比3%の微減となりました。

「昨年は6年ぶりに観光客数が戻ってきましたが、その間、コロナ禍の特殊な状況を除けば、大涌谷の火山活動の活発化や大型台風などの自然災害のほか、物価高、パリオリンピック開催による出控えなどの影響で、日本人観光客が下火になっていたところを、海外からの観光客に補ってもらっていた部分が少なからずありました」と語るのは、箱根町観光課の金子さん。

外国人観光客が増えたことで、地元の人がバスに乗れなくなったり、温泉の入り方のマナー違反があったりと、小さなトラブルはあるものの、町役場と観光協会、旅館組合やバス・タクシー会社などとの連携で乗り切ってきました。

「『ジャパンタイムズ』で箱根寄木細工や芦ノ湖の魅力などを特集してもらったのも効果があったようです。英語のツアーガイドと歩く杉並木や、箱根湯本の芸者さんを呼んだお座敷遊びなど、外国人ならではの箱根の楽しみ方も定着しつつあります」と金子さんは言います。

日本人観光客が微減していることに関しては、外国人観光客の動きが早く、宿泊施設の予約が取りにくいことに加え、外国人価格に設定された土産物や飲食・宿泊費に日本人観光客が戸惑いを覚えているのではないか、と推測します。

外国人観光客に寄せた観光産業が進むなかで、これまで箱根を支えてきた日本人旅行者とのバランスが問われているのかもしれません。

箱根湯本の商店街。行き交う人の半分以上が外国人である。
箱根湯本の商店街。行き交う人の半分以上が外国人である。
箱根町が紹介された『thejapan times』2024年9月7日発行号
箱根町が紹介された『thejapan times』2024年9月7日発行号
英語版のパンフレットとデジタルマップ
英語版のパンフレットとデジタルマップ

不動産的側面からの問題点

さらに、不動産面でも新たな課題が浮上しています。

「最近、空き家を外国人が買い取って民泊施設とするケースが多くなっています」と語るのは、企画観光部企画課の杉山さんです。杉山さんは、民間移住支援団体とともに運営する「箱根町空き家バンク」も担当しており、箱根に定住したいと考える人たちと空き家とのマッチング事業を行うなかで、民泊問題が浮上してきました。

「町としては、定住対策として、箱根に定住する意思がある人に空き家を売った売主に対して、奨励金を用意するなどしていますが、少しでも高く買ってくれる人に売りたいと思うのは当たり前なので、なかなか定住につながっていないというのが現状です。空き家が次々と民泊になっており、移住したい人の家がないという状況になっています」と杉山さん。

実際に、「近所の家が民泊として使われているのではないか」、「騒音がひどいが、注意をしても次の日には別の人が来ている」などの問い合わせが町役場に寄せられるケースも出ています。しかし、実は民泊の管轄は神奈川県であり、町としては直接的な規制や是正が難しい状況です。

「空き家を探している人にその目的を伺うと『民泊をやりたいから』という人が半分以上。なかには、辺り一帯が民泊施設となっていて、近隣住民から『このままではこの通りは民泊通りになってしまう』と危機感を持つ声も聞こえてきます」と杉山さんは話します。

また、地元を歩くなかで、気になる住民の声もいくつか聞いたといいます。「最近、外国人観光客向けの飲食店等も増えてきていますが、そのなかには町の景観に合わないような店があるとのことです。町はほぼ全域が国立公園に指定されており、厳しい規制がありますが、今後、外国人が経営する店などが増えて、景観やルールが守られていくのかと心配する声もあります」。これまで築き上げてきた箱根の秩序が維持できるのか、住民が困惑しているというのです。

箱根町と民間移住支援団体が実施する「移住・二拠点希望者向け空き物件と移住スポットツアー」告知。空き物件を見るだけでなく、先輩移住者との交流や移住体験施設見学等も行う。
箱根町と民間移住支援団体が実施する「移住・二拠点希望者向け空き物件と移住スポットツアー」告知。空き物件を見るだけでなく、先輩移住者との交流や移住体験施設見学等も行う。
強羅駅から徒歩圏内にある「彫刻の森美術館」。開放的な野外展示やピカソ館などが人気。
強羅駅から徒歩圏内にある「彫刻の森美術館」。開放的な野外展示やピカソ館などが人気。
ロープウェイ乗り場。箱根観光では、登山列車、ケーブルカー、ロープウェイ、遊覧船、バスなど、さまざまな	乗り物を乗り継ぐが、いずれも誘導がスムーズで言葉が通じなくても迷うことはない。また、「箱根フリーパス」を利用すれば乗り換えのたびに切符を買う必要がない点も便利である。
ロープウェイ乗り場。箱根観光では、登山列車、ケーブルカー、ロープウェイ、遊覧船、バスなど、さまざまな 乗り物を乗り継ぐが、いずれも誘導がスムーズで言葉が通じなくても迷うことはない。また、「箱根フリーパス」を利用すれば乗り換えのたびに切符を買う必要がない点も便利である。
早雲山の展望台。足湯に浸かりながら大パノラマを楽しめる、歩き疲れた旅行者にうれしいスポット。
早雲山の展望台。足湯に浸かりながら大パノラマを楽しめる、歩き疲れた旅行者にうれしいスポット。
ロープウェイに乗り、硫黄のにおいや山々を吹き抜ける風を感じながら噴煙立ちのぼる大涌谷へ。真夏でも肌寒 く感じるほど涼しい。
ロープウェイに乗り、硫黄のにおいや山々を吹き抜ける風を感じながら噴煙立ちのぼる大涌谷へ。真夏でも肌寒 く感じるほど涼しい。
芦ノ湖を縦断する海賊船(遊覧船)。船内では英語や中国語のほか、スペイン、イタリアなど多国籍な言語が飛	び交い、異国にいるような気分が味わえる。
芦ノ湖を縦断する海賊船(遊覧船)。船内では英語や中国語のほか、スペイン、イタリアなど多国籍な言語が飛 び交い、異国にいるような気分が味わえる。
大涌谷名物「黒たまご」に舌鼓を打つ観光客たち。殻を半分むいて写真を撮り、ほおばる。一連の流れは世界共	通のようである。
大涌谷名物「黒たまご」に舌鼓を打つ観光客たち。殻を半分むいて写真を撮り、ほおばる。一連の流れは世界共	通のようである。
大涌谷名物「黒たまご」に舌鼓を打つ観光客たち。殻を半分むいて写真を撮り、ほおばる。一連の流れは世界共通のようである。
1268年前(757年)に鎮座した箱根神社。開運厄除、心願成就、交通安全、縁結びにご神徳の高い、運開きの神	様として信仰されている。
1268年前(757年)に鎮座した箱根神社。開運厄除、心願成就、交通安全、縁結びにご神徳の高い、運開きの神様として信仰されている。
芦ノ湖のほとりに建つ平和の鳥居は人気のフォトスポット。周辺の並木道も静かで心地よく、散策したくなるロ	ケーション。
芦ノ湖のほとりに建つ平和の鳥居は人気のフォトスポット。周辺の並木道も静かで心地よく、散策したくなるロ ケーション。

外国人の土地取得により発生した問題ニセコの事例から

ここで、ニセコ町の事例に目を向けてみましょう。かつて静かなスキーリゾートだった北海道のニセコ町。2000年代以降に外国資本が次々と進出し、リゾート用のマンションや別荘、山林までもが外国人によって購入されてきました。

この流れは、地域経済に一定の恩恵をもたらしてきたのも事実。空き家の再利用や新たな宿泊施設の整備、雇用の創出など、目に見える“活性化”もありました。しかしその裏で、地元住民からは戸惑いと不安の声も上がっています。

もっとも大きな変化は、地価の急騰です。ニセコエリアの地価はこの10年で大きく上昇し、一部地域ではバブル期以来の水準に達しています。短期的な投資や投機を目的とする資本の圧倒的な資金力が優先され、地元の若者や移住希望者にとって土地を取得しにくい状況を生み出しました。

外国人のための宿泊施設や飲食店、土産物屋を外国人が営み、地元にほとんどお金が落ちない仕組みになっていることも問題視されています。街が拡大するのは喜ばしいことかもしれませんが、そのためのインフラ整備の費用は軽視できません。

さらに、外国人が所有する物件では管理が不十分なまま放置されたり、箱根と同じように無許可の民泊施設として運用されたりするケースもみられます。外国人が所有する山林を無断で伐採したり、誰の手によるものか不明ですが、源泉付近に無断で穴を掘って野湯を設営したりなど、次々と問題が発生しているのが現状です。

また、ニセコ最大級のリゾート開発を手がけた中国系の企業が経営破綻したというニュースも報道され、「ニセコバブル」崩壊のはじまりか、といったうわさまで流れました。

地元の人々の暮らしを守る

日本には、外国人による土地取得を制限する法律が原則としてありません。2022年に「重要土地等調査法」が施行され、防衛関係施設などの重要施設および国境離島等の土地の調査や規制が可能になりましたが、観光地やリゾート地は多くが対象外のまま。海外に目を向けてみると、外国人の土地購入を禁止・制限している国が多いのが現実です。

重要土地等調査法に指定されたエリア以外なら、土地・建物ともに、日本人と同じ手続きで、国籍に関係なく誰でも自由に土地を買うことができます。しかし、そこにも大事な水源や森林などの自然環境があり、当然ながら地元の人々の暮らしが存在します。

そもそも、土地や住まいとは本来、地域とともにあるべきもの。そこに暮らす人々の生活や文化と切り離された所有や運用が増えることで、地域全体が一時的で表層的な “レジャーランド”と化してしまう危うさもあります。「長い間観光地として地元の人たちが大切に守ってきた伝統や秩序が、箱根にはある。その箱根の価値に“ただ乗り”されるような状況は避けなければいけない」と杉山さんも言います。

インバウンドは、地域経済に活力をもたらす“光”である一方で、地域社会のバランスを揺るがす“影”も抱えているのです。観光地の不動産は、今や「住まい」から「投資対象」へと意味合いを変えつつあります。海外からの視点と地元の暮らし、その両方に寄り添える地域戦略が今こそ求められているのではないでしょうか。


執筆

住宅ジャーナリスト

殿木 真美子