まちの紹介
2021.12.14

別荘地から定住する地へ
軽井沢町の人口が増え続ける理由


芥川龍之介や室生犀星、北原白秋など多くの文豪が愛したといわれる別荘地・軽井沢。
戦後の高度成長期には、大規模なホテルやゴルフ場など開発がすすめられ一大リゾート地となったこの町はここ数年、転入超過の町として注目され、若い世代の移住者が増えているといいます。
“ミニバブルの到来”ともいわれる軽井沢ではいま、どのような現象が起きているのでしょうか。

ひとりの外国人が広めた“避暑地”軽井沢の魅力

群馬県との県境に位置し、江戸時代には峠の宿場町として栄えた軽井沢町。今でこそ“別荘地=軽井沢”のイメージが定着していますが、そのきっかけとなったのが、カナダ人宣教師アレキサンダー・クロフト・ショー氏の訪問だったといわれています(1885年)。同氏は軽井沢を訪れた際、豊かな自然と過ごしやすい気候にひどく感銘を受け、1888年に軽井沢で最初の別荘を設け、ひと夏を過ごしています。軽井沢をこよなく愛したショー氏は、軽井沢の魅力を多くの友人や宣教師仲間に広め、その名は海外でも広まり、以降来訪する外国人が増えていったといいます。

明治中期以降になると万平ホテル、三笠ホテルなどの西洋式ホテルが建設され、ショー氏と行動をともにしていた東京帝国大学文科講師のジェームズ・メイン・ディクソン氏をはじめ、当初は宿泊客の多くを外国人が占めていましたが、後に近衛文麿、澁澤栄一、大隈重信など国内の各界著名人が滞在するようになったといいます。こうして上流階級や外国人が多く集まり、さまざまなコミュニティが形成されたことにより、町には国際性あふれる独自の文化が醸成されていきます。その後、大手企業によるリゾート開発が進み、軽井沢駅の北側に伸びる旧軽井沢銀座通りや南側のアウトレットモールでのショッピング、スキー・スケート・ゴルフ等のスポーツ、白糸の滝などの景勝地や温泉等、豊富な観光資源を強みに一大観光地としても知れ渡っていくこととなり、年間840万人もの人が訪れるようになります。

木立の中に佇む軽井沢で最も古い教会「ショー記念礼拝堂」
木立の中に佇む軽井沢で最も古い教会「ショー記念礼拝堂」(1888年)。軽井沢を「屋根のない病院」と絶賛し避暑地として世に広め、のちに“軽井沢の父”と呼ばれるアレキサンダー・クロフト・ショー氏が創設した。
旧軽井沢銀座通り
観光客に人気の老舗飲食店やパン屋、ジャム屋、土産物屋などが建ち並ぶ、旧軽井沢銀座通り。
チャーチストリート軽井沢
旧軽井沢銀座通りから小路を入ると現れるショッピングモール、チャーチストリート軽井沢。
高さ3m、幅70mの白糸の滝
高さ3m、幅70mの白糸の滝は、地下水が湧き出ているため常に高い透明度を誇っている。

交通インフラの整備でワ―ケーション利用が増加

多くの観光客が集まるようになった理由には、首都圏からのアクセスの良さがあります。東京から長野を経て新潟までを結ぶ上信越自動車道は、1993年に藤岡―佐久間が開通。また鉄道も1997年の北陸(長野)新幹線部分開業(高崎~長野間)により、東京―軽井沢間が約70分で結ばれました。

こうしたアクセスの利便性と自然環境の良さを理由に、コロナ禍において注目されているワ―ケーション目的での滞在者も増えているといいます。軽井沢駅前のショッピングモールには、今年新たなワ―ケーション施設が開業し注目を浴びています。また、軽井沢には観光協会や商工会などで構成される軽井沢リゾートテレワーク協会があり、コロナ禍以前より旅館やホテル、カフェなどに多様なワ―ケーション施設を設置、個人使用から企業の会議や研修合宿などさまざまな用途で利用を促進し、軽井沢への新たな人流を促しているといいます。

移住者が望む教育と仕事の環境

夏は避暑地、冬は温泉やウインタースポーツを楽しみたいという観光客に加え、ワ―ケーション目的での短期的な滞在者が多くみられる軽井沢町。最近では定住者が増え続け、人口は20,000人を突破しています(2021年11月1日現在)。転入出による社会増減数は600人に増え、地元では「ミニバブルの到来」という声も聞かれるほどです。

定住者が増えている理由に新たに開校した学校やリモートワークの影響があるといいます。軽井沢には古くから、別荘を利用する作家や、多くの研究者、芸術家などが活動している歴史があり、教育や文化・芸術への理解が高い土地として知られています。首都圏の大学のセミナーハウスや国際的に活躍する音楽家の演奏会が開かれるコンサートホールなど、優れた教育・文化施設が集まる町内には、世界各国から生徒が集まる全寮制のインターナショナルスクール(2014年開校)や、幼・小・中学校までの12年間一貫校(2020年開校)など、私立学校があります。どちらも軽井沢ならではの豊かな自然環境をいかして、少人数制で伸び伸びとした個性的な教育を展開しているため、子どもをもつ若い世代の親たちから注目を集めているといいます。子どもを幼稚園から通わせるとなると、当然ながら親も軽井沢近郊で生活しなくてはならないため、家族そろっての移住を検討し、その結果人口が増える要因になったと考えられています。

その親世代の仕事については、東京までの新幹線通勤やリモートワークを選択される方がいるようです。地元不動産業者の話によると「3~4年前までは、若い世代の移住者はかなり限られていました。毎日新幹線通勤ができるような、外資系に勤める世帯年収二千万円といったごく一部の人たちです。それが、最近はそうでもなくなってきました。コロナ禍でリモートワークが以前より浸透してきていることもあるかもしれません。子どもをどういった環境で育てようか真剣に考えて、将来を見据えた学校の選択をした結果、軽井沢での生活を望む若い親御さんが増えているようですね」といいます。また、「自然の豊かさと併せて、ブランド力やステータス、さらに都会性もあり、なにもない田舎町ではないことも若い人が来やすい理由でしょう」と話します。

軽井沢町の人口動態(社会動態)

軽井沢町の人口動態(社会動態)
毎月人口異動調査より
※2012年7月から住民基本台帳法改正により外国人住民も含む

軽井沢町内の別荘

軽井沢町内の別荘
※推計(各年1月現在) 軽井沢町税務課

軽井沢町の人口及び世帯数の推移

軽井沢町の人口及び世帯数の推移
資料:国勢調査(各年10月1日)

厳しい制限で守られる良好な居住環境

軽井沢町は「軽井沢」「中軽井沢」「追分」の3つが、おもな生活エリアとなっています。住宅事情についてみてみると、町内のどのエリアでも住宅の建設が増えており、賃貸物件については、ここ数年の移住者の増加により家賃相場が直近3年で約4%上昇したともいわれています。そこで新たにアパートなどを建てようとしても「事業として考えるとなかなか難しい」という声も聞かれます。

その理由には、厳しい用途地域の制限が挙げられます。軽井沢町では、町内の約53%が都市計画区域となっており、その内、第1種低層住居専用地域が都市計画区域の約60.5%、用途地域内にあっては約80%を占め、低層で低密度な市街地を形成しています。

併せて町独自の「軽井沢町の自然保護のための土地利用行為の手続き等に関する条例」や「軽井沢町の自然保護対策要綱」による規制・誘導によって、一般住居、別荘地の良好な居住環境・景観が守られています。

軽井沢町の都市計画地域

軽井沢町の都市計画地域
青色で示した「第一種低層住居専用地域」では特に、建ぺい率・容積率や高さの制限が厳しいため、大きな建物が建てられない分、良好な住居環境や自然環境が守られている。(軽井沢国際親善文化観光都市建設計画総括図をもとに作成)

伝統と豊かな自然を守りつつ、新しい町へ発展する軽井沢

定住者が増えたことによって、町のバランスにも変化が起きているといいます。ピラミッドで例えるならそれまで頂点である富裕層が多く存在し高いブランド力を誇っていた軽井沢に、若い世代が流入し定住する道を選んだことで、人々が暮らす町としての形が新たに形成されています。

町では、2013年度より10年間の『第5次軽井沢町長期振興計画基本構想・基本計画』を策定。その中で住環境については、「軽井沢全町が低層で落ち着いた雰囲気と緑と住宅が調和したまち並みも訪れる人々を魅了する要因であることから、常住空間においても自然の中に建築物が見え隠れするような住宅環境をめざしていきます」としています。現在は次期計画となる第6次計画の策定に向けて、町民等意向調査を実施。このほか、町民、別荘住民、事業者、観光来訪者など、さまざまな立場の人からのヒアリングや子どもたちの未来図作成をもとに、『軽井沢22世紀へのはばたき』と題したグランドデザインを作成。50年、100年先の町のあり方をビジョンとして提示しています。伝統と豊かな自然を守り続ける軽井沢の今後に期待が寄せられています。

人口増加で抱く地元不動産業者の想い 

人口が増え続ける軽井沢町の現状を地元の不動産業者はどのように感じているのでしょうか。長年、軽井沢で事業を営む軽井沢スタイルハウス株式会社代表の千葉俊治氏に話を伺いました。

軽井沢スタイルハウス株式会社代表の千葉俊治氏
神奈川県出身。バブル期に、軽井沢の不動産業者にて従事。 バブル崩壊後、三井のリハウス(神奈川)にて15年、仲介の仕事に携わる。 その後再び軽井沢へ戻り、起業して12年を迎えた。

人とのつながりを大切に地域貢献を続けていきたい

―まずは事業内容を教えてください。

不動産の仲介が主で、リフォーム事業や建物の管理もします。仲介だけで終わるのではなく、購入後のいろいろなサポートや建物の管理など、一人ひとりのお客様の要望にお応えできるよう、長期的な視点でサービスを展開しています。

―軽井沢と聞くと、別荘のイメージを強く抱いてしまいますが。

別荘については、これまで海外に目を向けていた方たちが、国内のリゾート、特に軽井沢のようなステータスのあるところに注目していると思います。以前からそういった動きもありましたが、コロナの影響でさらに需要は上がっているかもしれません。ほかのリゾート地で聞かれる投資目的というよりは、年輩の方が自身のライフスタイルを軽井沢で楽しみたいという思いで、購入を検討される方が多いようです。でも最近では、移住者向け物件の取り扱いも増えています。

―やはりそうですか。近年は、軽井沢の人口増加が顕著だと聞きます。

長く軽井沢を見てきて、このふり幅は本当にすごいなと思います。今まではブランド志向が強く、高級な別荘を所有する富裕層がメインでしたが、最近はそれ以外の層の方、特に若い世代が増えています。長野オリンピック開催のおかげで、高速道路や新幹線が整備され、都心ととても近くなり、別荘利用のほかに、少し遠めの郊外の住宅地というイメージができたのではないかと思います。リモートワークの浸透で軽井沢での生活が可能になったという方もいるのでしょう。

―若い世代の移住者が暮らす住宅は、どのエリアに多いのでしょうか。

賃貸物件はどのエリアにもあります。最近は需要が増えたので家賃も上がってきていますね。隣接する御代田町も軽井沢に比べて少し安いということもあり、人気が高まっています。軽井沢の西側にあり、南側は佐久市と隣接していてどちらへも車で20~30分です。買い物にも便利ですし、佐久市には大きな病院もある。御代田町は若い町長に変わってから、まちづくりにも力を入れていて特に注目されていると思います。

―変わりつつある軽井沢について、感じることはありますか。

以前は、「高齢者ばかりの町で人口はどんどん減っていく。若い人たちが軽井沢を好きになってくれなかったら今後どうなってしまうんだろう」という思いがありました。しかし、学校が新設され、若い世代の人たちが転入してきてくれたことで不安も解消されました。

―軽井沢の未来や地域への思いを聞かせてください。

昔からいる方たちが今起きている変化を不安に感じたとしても、私は若い人たちから刺激を受けて少しずつ町が良い方向に変わっていくことが、軽井沢の未来にとって良いことなのではないかと思っています。土地というのは、本来誰のものでもなく地球のものだという思いがあります。社会の中でそれを商売として生きている以上、ボランティアなどを通じて地域に対してきちんと貢献していかなければならないと思っています。商工会の地域振興活動などもそうですね。花を植えたり、クリスマスの装飾をしたり、楽しく活動しています。

人と人とのつながりで商売が成り立っているということが、軽井沢の特長だと思います。ですから今後、自分が培ってきたノウハウを若い人たちに惜しみなく伝えていきたいと思っています。


軽井沢スタイルハウス株式会社

住所:長野県北佐久郡軽井沢町軽井沢東23-5
電話:0267-41-0310
FAX:0267-41-0311
[ホームページ]
http://k-stylehouse.co.jp/

軽井沢スタイルハウス株式会社