Vol.3 建物賃貸借における原状回復をめぐるトラブル
賃貸借契約が終了すると、賃借人には、賃借期間中に賃借物に生じさせた損傷があるときは、その損傷を修復して明け渡さなければならない原状回復義務があります。この原状回復をめぐり、賃貸人(または管理会社)と賃借人との間で多くのトラブルが生じています。
トラブル事例から考えよう
事例1. 賃借人が損傷等を生じさせたことの立証責任
Aさんがアパートを退去しましたが、壁クロス・建具・下駄箱等にキズ、汚れがあることから、管理会社はAさんに対し、これらのキズ・汚れはAさんが入居期間中につけたものであるとして補修費用を請求しています。しかし、Aさんは、これらのキズ、汚れは入居当初からあったもので自分がつけたものではないと主張しています。管理会社はAさんに対し、入居期間中につけたキズ、汚れでないのであれば証明するよう求めています。
事例2. 原状回復特約による請求
2年間借りた賃貸マンションを退去したBさんは敷金20万円を預け入れていますが、原状回復費用として30万円の請求を受け、10万円の追加支払いを求められています。Bさんはタバコも吸わず、気を付けて生活していたので、キズ、汚れもつけておらず、退去に際してはできる限りの清掃を行い、ゴミも処理しているとして敷金20万円全額の返還を求めています。これに対し、管理会社は、契約の原状回復特約(建物明渡し時の室内クリーニング費用、クロス・じゅうたんの張替費用、エアコンの清掃費用等は賃借人負担とする)に基づくものであり、正当な請求であると主張しています。
01入退去時の物件状況確認〈事例1〉
国土交通省の「原状回復ガイドライン※1」は、原状回復トラブルを防止するために、入・退居時に賃貸人と賃借人が立会いのうえで、建物・部屋の状況確認を行い、賃借人負担となるキズ・汚れ等を双方で確認することが望ましいとしています。入居時の立会い確認がないことは少なくないようですが、退去時だけの立会いでは入居時の状況が確認できていないので、入居中に生じたキズ・汚れ等なのか判然としません。退去時だけの確認で、入居時の確認をしていなかった場合、事例のようなトラブルが生じることになります。
※1 原状回復ガイドライン:「原状回復をめぐるトラブルとガイドライン」(平成23年8月再改訂)
■立証責任は賃貸人
賃借人は、自分が生じさせたものではなく、入居時に既に存在していた損傷等の修復費用を求められても負担義務はありませんので、その旨を主張すればよく、損害を生じさせていないことの立証責任はありません。賃貸人は、賃借人が否定するその損傷等の損害の賠償を求めるのであれば、賃借人が入居中に生じさせた損害であることを立証しなければなりません。立証責任は賃貸人にあります。
02原状回復特約の効力〈事例2〉
契約自由の原則(新民法※2 521条)から、強行規定に反しない特約であれば、賃借人に一方的に不利なものであっても原則として有効です。しかし、原状回復ガイドラインは、次の3つの要件を満たしていなければその効力が争われるとして、賃貸人に対し、注意を喚起しています。
- ①特約の必要性があり、かつ暴利的でないなどの客観的、合理的理由が存在すること。
- ②賃借人が特約により通常の原状回復義務を超えた修繕義務を負うことを認識していたこと。
- ③賃借人が特約による義務負担の意思表示をしていること。
原状回復特約の効力を争う裁判では、賃借人側は「信義則に反して消費者の利益を一方的に害する条項は無効」とする消費者契約法10条により無効主張をすることが多くみられます。
※2 新民法:2020年4月1日に改正施行された民法
■新民法と賃借人の原状回復義務
最高裁は、賃借物件の損耗の発生は賃貸借という契約の本質上当然に予定されているものであり、賃貸人は、通常使用による劣化、損耗に係る経費は賃料に含ませているとし、通常損耗、経年変化について賃借人に原状回復義務はないことを判示しています。また、原状回復ガイドラインは、賃借人の原状回復を次のように定義して、賃借人が負う原状回復義務の範囲を示し、通常損耗および経年変化(自然損耗)についてはその対象に含まれない考え方を示しています。
原状回復とは、賃借人の居住、使用により発生した建物価値の減少のうち、賃借人の故意・過失、善管注意義務違反、その他通常の使用を超えるような使用による損耗・毀損を復旧すること。
改正後の新民法は、判例、原状回復ガイドラインで示されている現行の賃借人の原状回復ルールを法律として明文化したものです。
新民法621条
(賃借人の原状回復義務)
賃借人は、賃借物を受け取った後にこれに生じた損傷(通常の使用及び収益によって生じた賃借物の損耗並びに賃借物の経年変化を除く。以下この条において同じ。)がある場合において、賃貸借が終了したときは、その損傷を原状に復する義務を負う。ただし、その損傷が賃借人の責めに帰することができない事由によるものであるときは、この限りでない。
賃借人に特別の負担を求める原状回復特約の有効性のハードルはさらに高くなったといえます。
■事案の考え方と解決方法
契約で約束したことは守らなければなりませんが、特約があればすべてが賃借人の負担になるということではありません。原則として、賃借人が生じさせた損傷等でなければ賃借人に負担義務はありません。当事者間の話合いによる解決が困難である場合、賃借人は少額訴訟制度を利用して敷金の返還を求めることが可能です。特約の効力、適用は裁判所が判断してくれます。
一般財団法人不動産適正取引推進機構 客員研究員
TM不動産トラブル研究所 代表
村川 隆生
1973年大学(法学部)卒業後、住宅、不動産業界で住宅・仲介営業等に従事、2000年12月より一般財団法人不動産適正取引推進機構調査研究部、2016年11月退職、2017年1月より現職。業界団体主催の各種研修会、消費者団体主催の相談員養成講座、その他の講師として全国で講演。宅地建物取引士・一級建築士。著書に『わかりやすい!不動産トラブル解決のポイント』【売買編】【賃貸編】ほか(住宅新報)。