Vol.15 賃貸マンションの契約と大規模修繕工事予定の告知に関するトラブル


賃借をするマンションにおいて、一定期間住環境が悪化する大規模修繕工事の予定があることは、借主の契約の判断に大きく影響する事項です。この告知がないままに賃貸借契約が結ばれますと、借主より「聞いていれば契約をしなかった」などと言われるトラブルになりますので、工事予定の告知漏れには要注意です。

トラブル事例から考えよう

〈事例〉大規模修繕工事予定を告知せず賃貸借契約をしたことで借主が引越費用や賃料等の返金を要求するトラブルに

平成29年12月11日、借主Aと、貸主Bは、本件マンションの一室(本件居室)の定期賃貸借契約を締結し、本件居室は同月15日に引き渡されました。

賃貸借契約の概要目的:居住用、賃料 月額21万4千円、敷金21万4千円、 建物明渡しの遅延損害金:遅延期間(日割計算)について賃料の倍額

ところが同月18日、Aは、本件マンションの大規模修繕工事を翌年の1月11日から約2カ月間行う旨のお知らせをB依頼の工事業者より受け取り、Bに、工事期間中は住めないと苦情を申し入れました。

Bは、工事を一旦延期し、平成30年2月にAに工事の協力依頼をしましたが、Aは「本賃貸借契約を錯誤により取り消す」とBに通知し、その後「契約を同年3月末までとする」とした書面を送付するとともに、Bに「賃料の半額の返還、引越費用等、計96万円余」の支払いを要求しました。

Aは、同年4月10日に引越しを完了しましたが、本件居室の鍵の返還はしませんでした。

Bは、早期解決の観点から、「Aが同年4月中に建物を明け渡すことを条件に、敷金全額、引越費用20万円の支払い、4月分の賃料・本件居室のクリーニング費用の免除に応じる」と申し出しましたが、Aはこれに加えて2・3月の賃料半額の支払いを要求、Bがこれに応じないと、同月27日、Aは損害賠償をBに求める訴訟を提起しました。これに対してBは、本件居室の明渡し(同年6月22日に、本件居室の鍵はAよりBに返還されました)および本件居室明渡しまでの遅延損害金を求める反訴をしました。

事例の図

(注)令和2年4月施行の改正民法前により、錯誤の効果は無効から取消しに変更されています。

01大規模修繕工事予定の貸主の告知義務

借主がマンションを借りるに際して、当該マンションに大規模修繕工事の予定があることを知った場合、工事期間中は、採光、通風等の制限や、騒音、振動、悪臭等の発生があることから、その期間の賃料の減額交渉をするとか、賃借目的によっては契約をやめるなどの、契約の内容に影響する判断を行うことが当然予想されます。

本件裁判所は、「大規模修繕工事が行われるという事実は、賃貸借契約を締結する者の意思決定にかかわる重要な情報であるから、具体的に工事が計画されている場合、貸主は、信義則により、相手方にそのことを告知する義務がある」として、貸主Bに、借主Aに対する告知義務違反による不法行為責任を認めています。

大規模修繕工事の予定がある場合、貸主には借主への告知義務(媒介業者には説明義務)があることについての認識漏れがないよう、注意が必要です。

02告知義務違反と借主の損害

貸主に告知義務違反があった場合、当該違反により借主に生じた損害について、貸主は賠償責任を負うことになります。

本件裁判所は、貸主Bの告知義務違反と相当因果関係のある損害について「借主Aは本件マンションにおいて大規模修繕工事が計画されていることを認識した上で、本件賃貸借契約を締結するかどうかの意思決定をする機会を奪われたという精神的苦痛を被ったと認められる」とし、本件取引における事情を考慮して、慰謝料30万円と弁護士費用3万円、計33万円を認めています。

しかし、大規模修繕工事は、マンションの住人が居住している中で行われるもので、契約の目的である居住ができないというものではありませんから、借主の「引っ越さざるを得ないから、引越費用を請求する」等の主張は、一般に認められることにはなりません。

本件裁判所は、借主Aの賃貸借契約の錯誤無効の主張については、「通常の一般人の基準に照らせば、大規模修繕工事が行われることを知っていれば契約を締結しないことが通常であるとまではいえない。借主の『貸主に対して、本件居室に知人等を呼んでお茶をしたいことや窓からの景色が気に入ったこと』等を話したことをもって、大規模修繕工事とは両立し得ない動機を示したとはいえない」として棄却をしていますし、その他の、引越費用、休業損害、交通費、電話代等々の損害主張についても、貸主Bの不法行為と相当因果関係は認められないとして棄却しています。

03借主の建物明渡しと明渡し遅延損害金

借主Aは、引越しの完了後、一方的に退去立会い日と場所を指定し、貸主Bがこれに応じないと、それを理由に、鍵の引渡しを行おうとしませんでした。

しかし、一般に鍵が返還されないと建物の明渡しが完了したとはいえませんし、貸室の明渡しに、貸主・借主の立会いが必要というものでもありません。

本件裁判所は、Aが鍵を返還した日をもって本件居室の明渡し日とし、それまでAは明渡しを拒んでいたというべきであるとして、貸主B請求の、本件契約の終了日から鍵返還日までの、本件契約に基づく建物明渡しの遅延損害金を認めています。

04媒介業者の実務上の注意点

借主の入居後に、大規模修繕工事が始まった場合、媒介業者は、借主より調査義務違反があったのではないかなどといわれるトラブルに巻き込まれることがあります。

媒介業者の重要事項説明に関する調査においては、貸主・管理会社(分譲マンション一室の貸主は、工事予定を認識していない場合があるので、マンション管理組合にも)に、大規模修繕工事予定があるかについて確認を行うとともに、その確認を行った記録を残しておくことが重要と思われます。


一般財団法人不動産適正取引推進機構
調査研究部 上席主任研究員
不動産鑑定士

中戸 康文

一般財団法人不動産適正取引推進機構(RETIO)は、「不動産取引に関する紛争の未然防止と迅速な解決の推進」を目的に、1984(昭和59)年財団法人として設立。不動産取引に関する紛争事例や行政処分事例等の調査研究を行っており、これらの成果を機関誌『RETIO』やホームページなどによって情報提供している。
HP:https://www.retio.or.jp/